2017年6月21日水曜日

数が質を凌駕するとき ~二番煎じでもいいじゃないか~

昨日は東京で、とある委員会。その後、元上司でもある細田先生、後輩でもある小松先生、他技術者の方合計4人の懇親会二次会での話。

細かい、きちっとしている、メカに詳しい?、というマニアックな面を持っているのは私の取り柄であることに余り気づかず、裏を返せば人間力に劣るのではないかと自分を卑下してした20代の時期があったが、横浜国大時に上司として赴任した細田先生にそれを褒めていただき、極めれば長所になると教えられ、自信に変わった。

さて、香川に戻り5年目になるが、そういう細かい側面だけでなく、最近は特に、香川県内、四国内、さらには九州にもしゃしゃり出て、何か色々と頑張ろうとしている。特に、自分から言うのも何だが、相手の懐に飛び込んで、熱い思いを語り、問題の解決を図ろうとしている。

悪く言えばお節介、良く言えば人間力の高い、これらの行いをするようになったのは、いつからだろうか。以前から細田先生が行っていることをうらやましく思っていたところもあるが、細田先生がやっているからというのは関係なく、得意でないものの、元々そういうことが好きで、小さい頃から自分もそうなりたいと憧れていたことが根底にあると思う。

香川に戻ってきて、はじめは、何だか二番煎じだなぁと遠慮していたことはある。できもしないのに細田先生の真似をしていると見られるのではないかと。しかし、地道に色々と取り組んでいくと、そのアプローチが本質的に必要なことであることに気付き、確信した。憧れとかではなく、ものごとを解決する手段として必要だから、自然とそのような振る舞いを行うようになってきた。

周りにそういうアプローチをしている人がいるかというと、今入っている委員会のメンバーにはそういう人が多いが、それを除くと余り見ない。大学・高専なり、研究者、学の立場の人は、画一的でなく、個性があった方が良い。カチッと研究をして成果をバンバン発表する人も必要だし、色々なアプローチがあって良いと思う。そう考えると、四国内で私みたいに動いている人はいないと思うし(遠慮していえば、私が気づいていないだけかもしれないが)、それがオリジナリティだと思えるようになってきた。

昨日細田先生の前でそういう話をしたら、これは岡村甫先生がいう「数(量)が質を凌駕する」ということではないかと。1回やるのは、二番煎じかと言われるかもしれない。でも、それを愚直に、2度、3度、そして毎日行ったらどうか。

質の高い研究をすることは必要だが、それできないときには、数(量)を増やす。それは、10個20個という中途半端ではなく、1000個、など沢山。誰も真似できない境地に達すると、数は価値を持ってくる、と岡村甫先生。

喩えが適切かわからないが、物まねで頂点に立った「コロッケ」さんのようなものかもしれない。

現場の数を足で稼ぐ「コンクリート刑事(デカ)」の異名を持つ田中先生とはまた別のアプローチで、私も足で稼いでいきたい。


別ブログでも書いたが、コンクリート・構造力学・橋梁工学教育ツール100個作成も、10年続ければ1000になるじゃないか。こちら「も」進める。

2017年6月14日水曜日

名刺

前回発注した名刺が切れる前に、名刺に書ける資格を1つ増やす、というのは背水の陣なのか知らないが、このままでは資格を取るまでに足りなくなる。

前回技術士を取ってから、名刺をリニューアルし、とりあえず1000枚注文したが、1年経過時に残りの箱数を見ると500枚ぐらい使っていた。

技術士(総合技術監理部門)は受験申し込みしていないので、明らかに足りない。

数えたら戴いた名刺が昨日で112枚(4/1以降)。渡したのは上記+アルファとなると思う。経過日数は74日なので、結構良いペースで進んでいる。たまたま出張が重なっただけとは思うが。


2017年6月12日月曜日

長崎出張と城山小学校

約30年前に、小学校5年~中学校1年の3年間だけ住んでいた長崎。先月の出張で長崎大学を訪れ、長崎県内で取り組んでいるフライアッシュの利用の活動についてヒアリングをし、今回がそのフォローアップの位置づけである。目的は追加のヒアリング、情報収集であるが、機会に恵まれて、ここで講演をすることとなった。

6月9日(金)の午後は長崎県生コンクリート工業組合の講習会で、九州大学小山先生が暑中コンクリートの建築指針改定のための取組みを講演され、長崎大学原田先生が長崎でのフライアッシュ(石炭火力発電所の副産物)の取組みおよび長崎県の生コン監査制度についてお話しをされた。私は最後に短時間だけ、品質確保の話と四国でのフライアッシュの話を行った。

全国の生コン監査は長崎が先駆けて、長崎モデルが全国に波及したというのは前回原田先生からお聞きするまで知らなかった。正確には、以前に聞いたことがあった気もするが、特に興味を抱いていなかった。しかし、香川県内では監査の副議長をしていることからも、改め今聞くと、非常に興味深く、香川で参考にできることも多かった。


長崎県の地図を書け、といわれて正確に書ける人は少ないだろう。改めて見ると、長崎県本土と、島と、どちらの面積が大きいか、ということである。懇親会の席では、島出身の方が本土の人に抱いているイメージ、など、面白おかしく話をしてくれたが、そういえば30年前に、小学校の時に、学校同士の交流事業なのか、島の小学生を長崎市内の我が家にホームステイしてもらう機会があったを懐かしく思い出した。

長崎に限らず、日本中どこでもそうだろうが、どんどんビルは建ち、道路も港も整備されている。当時の面影は少なくなってきているが、町を歩きながら、懐かしい思い出で一杯であった。

翌朝は、高松に戻るだけ。ただし、ゆっくり観光している時間はないため、ひとつだけずっと行きたかった場所を訪れた。

城山小学校である。

 城山小学校の説明ページ

爆心地に近い高台にある学校。1945年8月9日の当日は授業はなかったが、多くの方が校舎や校庭でなくなった。学校のホームページによると、「被爆校」と呼んでいる。被爆者ならぬ被爆校。当時として鉄筋コンクリートの校舎というのは珍しかっただろうし、その後も学校としてずっと使われ続けてきたというのは、生きた戦争の証言舎(証言者)であるだろう。

長崎に住んだ3年間で私の心に刻まれているのが、原爆教育である。このことは、私の宝だと思っている。現在でも続いている城山小学校を舞台として、残された被災校舎等が記念館として整備されたのが平成に入ってからということで、30年前の当時は意識をしたり訪れたりしたことはなかったし、その後何度か長崎に訪れても、一人でなかったので、なかなか機会が無かった。正直なところ、原爆資料館、平和公園、に比べると、知名度は低い。今もそうではないか。

数年前にNHKスペシャルで放映されたのが衝撃的であった。

 NHK番組サイト
 NHK平和アーカイブス
 まとめサイト

さらに、数日前、フェイスブックで、長崎大学のデミーさんこと、出水 亨(でみず あきら)氏が軍艦島でおなじみの3D計測を城山小学校でも行っていることを知り、思い出した。

路面電車の松山駅から西へ。急な階段を上ったところが城山小学校であった。至る所に小学生が作った案内・解説があり、胸が熱くなった。土曜日朝の7時台ということで、観光客は私以外誰もいなかったが、校舎の通用門は開いており、入らせて戴いた。(途中、先生らしき人が登校し、声をかけさせて許可をいただいた)

※後でホームページを確認したら、「個人の見学は申し込みなしでもできる」とのことですが、団体の場合には郵送にて見学許可を得る必要がある、とありますのでご注意下さい。



向かう途中の橋(簗橋)から見た小学校の様子。銘板の当時写真と同じ佇まい。

学校に至る2本の坂は、桜の木が生い茂るトンネルのようになっており、入口ではカラスが出迎えてくれた。子育て中で、多分近くに巣があるためだろう、明らかに私に近づいてきて、上空をかすめる。感傷的になっているのだが、カラスが番人のように思えた。

ウェブページを調べてみると、当時から、色々な関係者のお陰で、校舎の一部は保存され、幸い学校自体も廃校にならず、現在も続いているという。

鉄筋コンクリート製の被災校舎だけでなく、いくつかの記念碑、周囲の斜面を利用した防空壕の跡、被災した樹木など、今普通に教育が行われている学校全体が「城山小学校平和祈念館」になっているようである。被災校舎は、中が資料館になって見学ができるようであるが、今の時間は、建物は施錠がされてガラス越しにしか見えない(開館時間・曜日は表示も見当たらず、事前によく調べていなかったのでわからず)。




鉄筋コンクリートの建物を見渡すと、補修の跡や、電気的モニタリングの電極も見えて、ここでもコンクリート技術者・研究者が関わっているのだとわかる。
被災校舎



現在の校舎の建物の一部が、当時の建物と同じデザインを踏襲していた。


祈念館(資料館)が開館している時間帯に改めて再訪してみたい。

参考まで、丘の上にあるので、キャリーバックは置いて行くのがよい。小学校から爆心地方面を見たところ。これだけの高低差がある。


2017年6月11日日曜日

高専という職業

ある目的でこのブログを読んでいる人に届けたい文章。

高専で働くということ。

教育者であり、研究者である。

どちらも職務であり、大事である。後はどういう比重・バランスで行うかは、それぞれの学校のポリシーもあるし、それぞれの教員のポリシーでもある。他にもあるが。

私は、国立大学の助手(助教制度になる直前)と、高専の准教授の両方を経験してきた。私自身について、高専を知らない大学教員、大学生・大学院生の立場としては、高専とは大学の格下だと思っていた。これは過去の話で、当時そう思っていたのだから仕方がない。それは、高専生や高専教員と直接触れあう機会が全くなかったから。大学において学部3年の実験補助をしていたが、高専編入学生は、既に同様の単位を取得していたので授業を受けていなかったためである。同期には、高専編入者はいなかった。その当時はまだ制度化されていなかったのだろうか。

助手の途中で、尊敬する素晴らしい高専教員に複数出会い、高専の道を選んだ。


高専については、各高専でだいぶやり方が違うので、高専が全て同じかと言われるとなんとも言えない。違うと思う。単位制を導入している大学寄りの高専もいくつかある。

以下は、香川高専高松キャンパスに関してであるが、参考になろう。

1)授業が多いという懸念について
 国立大学に比べると授業は多い。定期試験も4回きちんとするので、ガチガチにコントロールされている気はする。数の上で言うと、私立大学も授業数は多いと聞く。直接比較したことはないが、私立大学で以前聞いたことのある授業数と比較すると、特段厳しいとは思っていない。

 うちの学校は、いわゆる大学のような単位制ではなく、学年制(もちろん単位で算定する)なので、同じ授業を、クラスの全員が受ける(落とした単位だけ取れば良いのではない)。

 何が言いたいのかというと、その学年の授業間であれば、教員同士で、授業変更(トレード)が比較的簡単にできるのである。出張したいときには、お互いに授業時間を交換してやりくりをして、行きたい人はバンバン出張に行っている。
 私はこれまでの4年ちょっとの期間を平均取ると、ざっと年間30日ぐらいは出張していると思う(1泊を2日と数え、日帰りも1日と数えて)。

 委員会等で、大学教員と予定を調整しようとすると、大学の先生は○○曜日は講義のため絶対に×、などという制約がある。私も、学生実験のように動かしづらいことは若干はあるが、基本は授業変更で対応できる。実験日についても、複数教員と技術職員と一緒にやっているので、よっぽどのことでないと私が抜けても成り立つ。

 これが肝心であろうが、予算さえ確保できれば、出張は可能であると思う。

2)予算が少ない
 国立大学の同年代の先生と話をしたが、均等配分の学校の予算は、どこも減らされており、高専だから少ないというのは感じなかった。
 均等配分される予算だけでは、東京出張はすぐに飛ぶ。後は外部資金を稼いだり、学校内の校長裁量経費に応募したり、である。
 これは、国立大学であれば似た状況ではないであろうか。

3)学生が忙しいことと研究者としての扱いが異なる
 これは、大学と比べるとデメリットであると思っている。本科5年で研究室に入るが、5年生は前期も後期もだいぶ授業を持っている。よって、フィールドワーク系の卒研を実施したくても、泊りで計測に、ということがなかなか難しい。専攻科生であれば、若干しやすくなるが、専攻科1年生は忙しい。

 それは、大学院生でも似たような状況であろうか。大学院1年は講義が多くて、2年は基本的に単位は1年で取っているので研究に専念できる。
 大学4年生の卒論と、高専本科5年生の卒論では、学生の自由度が異なるのは、研究を進めるという点に限っては、ハンディに感じる。

4)授業以外の校務が多いという懸念
 大学の話を聞いていると、やる内容は異なっても、会議や雑務が多いように感じる。○○ビジョン会議、とか・・・。数の上で、明らかに大きく違うとは思わない。
 クラス担任、教務主事補、寮務主事補、学生主事補、という役割が有り、それに当たると当たらないに比べて、色々な業務があり、重いのは確かである。突発的なことについては何より優先するので、出張がキャンセルされることも無くはないが、通常は、普段の事前マネジメントで対処可能と思う。

5)部活動の指導がある
 その通りである。土日が費やされるが、分担して実施しており、それなりにマネジメントしていると思っている。
 ただしここは、ブログの読者でもある妻は反論があろう。

6)地方で働くこと
 前職で横浜にいて、なかなか神奈川県の大学にいるという認識は少なかった。助手という立場が、そういう公的な役職を経験していなかっただけかもしれないので、なんとも言えない。県あたりの教員数は、首都圏は圧倒的に大きい。
 それに比べて地方に行くと、県内のその分野の教員数は少ない。これは巡り合わせもあると思うが、私は香川県において、コンクリート分野において、生コン関係、構造物の老朽化関係のどちらの審議会のようなものに入っており、人脈であったり、色々な最新の知見を得ることができている。首都圏にいたら、この分野は○○大学、これは○○大学、という風になっているようで、なかなか全部を把握するのは難しいのではないか。
 ということで、土木工学という分野であれば、地方というのはメリットでもあろうかと思う。
 香川県コンクリート診断士会の立ち上げ・運営に関わることもできたのも、貴重な経験である。

7)センター試験監督はない
 センター試験はないので、監督もない。やったことのある先生なら、その重みはわかるでしょう。センター試験監督で精神をすり減らすことはない。経験者として。高専の先生に限れば、1月中旬の体調はすこぶる良い(笑)。


以上、非常に主観的であるが、主として高専と大学の違いについて述べてみた。

 以下、香川高専の位置づけについて。
1)県庁所在地に位置する高専である。
 県庁所在の市にある、高専は少ない。交通の便はわるくない。空港、JRターミナル駅までは至近とはいわないが、車を使うが、高松空港まで30分、高松駅まで15分である。

 そして、東京出張に限定すると、岡山駅乗換えで、マリンライナー高松行きのJR新幹線の終電は、東京駅で 20:30である。これは、他の地方大学と比較しても、遅くまで東京で活動できることを表す。例えば広島大学と比較してみていただきたい。日帰りであっても、飲み会の途中まで参加できるのは、強みである。

 地方は、みんな飛行機かというと、そうでもない。香川、特に高松は、JRと飛行機が、それぞれメリットデメリットに応じて選べるのである。私の出張は、JRと飛行機は半々である。同じ四国内でも、愛媛、高知、徳島は、残念ながら、飛行機しか選択肢はない。
 さらに、高松は、JRの寝台列車に乗ると、東京駅の終電は22時である。これは、サンライズ瀬戸といって、車内も個室で木目調でミサワホームが監修しただけあって綺麗。新幹線代+ホテル代と同程度である。時間を節約できる。懇親会も1次会は完全に最後まで行ける。

 ということで、香川高専建設環境工学科は、色々な面で研究者・教育者としての環境は良いと思っている。

2017年6月1日木曜日

借金返済

昨年度授業を実施して、教科ポートフォリオという名称で、試験答案のデジタル化、授業概要のとりまとめ、等、きちんとデジタルで記録しておかなければならない。学校が外部認証、外部評価、自己点検をするための授業に関しての基礎資料になるためである。これがまた結構大変で、前年度分の科目に対しての作業最終期限の5/31まで貯まっていた。昨日何とか期限までに終えることができた。

自分が主体の授業はもちろんのこと、前期後期別など複数担当者で行っている授業もとりまとめ役であれば必要だし、非常勤講師にお願いしていた科目は私が窓口担当教員となっている場合は最終まとめ役として必要だし、担任をしていたのでそのクラスで行われている共通的科目(インターンシップ、創成工学というPBL系の演習科目)も、教科ポートフォリオは、私のとりまとめ担当であった。

1年間で、合計12科目分、何とか終えることができた。(※大学の単位(学修単位)とは異なり、履修単位なので、半期ではなく、通年科目での科目数です!)ポートフォリオ作成に費やした時間は数え切れない・・・。3月から断続的に行っていたし、前期終了科目は昨年秋のうちに終えていたので何とかギリギリだった(年度途中にフォーマット変更もあったので、若干の手直しは必要であったが)。まあ、これは、教員欠員の対応のための非常事態だったということで、今年は解消している。

本件は、やるべきこととは分っていて、昨年度最終成績を出した3月以降ずっと頭に残っていた懸案事項なので、終わったことにほっとしている。さしずめ、借金を完済したような・・・・。

今年度は、フルスロットルで研究、社会貢献、教育改善を行っている。たまに締め切りがバッティングしてキツいときもあるが、色々な種まき、プチ刈り取りができるようになっていて日々充実している。

これが開けても、また別の締め切りに追われるものの、早め早めに取組みながら、本来なすべきものに取組み成果を出していきたい。
九州2回目の出張の前日に高知出張を入れ、重要な情報交換を行う。

6月の出張は以下の通り

6/8-9 高知(高知→福岡空港)、長崎
6/12 土木学会コンクリート養生委員会
6/20 非破壊検査協会委員会

昨日、ある共同研究的なプロジェクトの初回打合せがあり、一応ゴーサインが出たので、担当学生をつけて邁進したい。

早速、その分野の実務者に電話して、必要な研究装置について教えていただいた。その分野には将来関わることはないだろうなと思っていたけれども、意外なところで繋がってくる。



2017年5月28日日曜日

先週の総括

先週は色々と会議を実施。

数年後に振り返ると、あれが契機になった、という会議だったかもしれない。

5/23(火)午前は、国交省四国地方整備局にて、第3回「産官学コンクリートの品質確保会議(仮称)」が無事終了。徐々に、四国らしさ、というのが見えてきた。

午後は、県内某市役所と橋梁維持管理の「身の丈に合った維持管理」についての初回打合せ。官学でどこまで連携できるか分からないが、キックオフとして技術者同士の良い情報交換ができたように思う。

翌日午前は、四国地方整備局で四国のフライアッシュについての打合せ。先週の九州出張の集大成となったと思う。次に繋がる、と期待している。

フライアッシュに関して、某所からの講演依頼と、6/9に長崎でも短時間であるが講演をすることになった。これもこれまでの取組みの成果の賜。フライアッシュの研究や実践活動は、元々自分で始めたわけでないが、色々と関わるうちに繋がってきた。巡り合わせて戴いた委員会、人々に感謝。特に、長崎は、小学校5年~中学校1年までの多感な時期を過ごした、私の第三の故郷。感慨もひとしお。