2011年1月31日月曜日

土木学会認定土木技術者 1級合格

本日も、朝からずっと、特に表層品質の研究に関する議論が続き、18時にやっと時間が空いた。また明日から日帰りで2日間連続で、現場測定に行く。今回は、学生2名がそれぞれの研究の観点でデータを取得するもので、背水の陣の測定ともいえるため、この1週間、お尻を叩いてきた。その結果、8割くらいは何とかいけそうな感触を得ているが、当日どうなるかは、2人の頑張りのほか、現地の状況を見ながらのジャッジにかかっているか。


さて、9月に受験した土木学会の土木技術者試験の合格発表が行われ、1級にやっと合格した。1級のコースAというものに応募したが、鋼・コンクリート系は、受験者数31人(少!!)で、合格率は38.7%だった。1級の守備範囲は、実務経験が7年からだったのだが、1つ上位の上級技術者の最低実務経験が11年のため、せっかく合格しても、来年からまた上級を目指さなければならないが。それよりも、技術士を取らなければ、と思っているので、来年こそ。


とりあえず、土木学会の土木技術者の表記は次のようになるらしい(2011年度登録から「土木」の名前が入るらしい)。見た目は様になっている。


1級土木技術者〔鋼・コンクリート〕(土木学会)
Professional Civil Engineer (JSCE)[Materials and Structures] または、Pro. C. E. (JSCE)[Materials and Structures]



2011年1月27日木曜日

現場

今日は委員会の共通試験の測定日のため、千葉県へ出張。
年末から数えて3回目の参加となる。

ある試験機の開発と並行で測定を行っているので、その試験運用と
改善の意味も含めている。
よって、測定中もいろいろなことを考えたり、仕込んだり、検討をしたり
で楽しい。

これまでの他の現場のやり方の反省として、この現場では、片づけを
終えた後に、その日のデータを簡易に取りまとめて、短時間の反省会
を開いている。
データの乱れがあったり、前回との比較をして顕著な動きがあったものは
その場でわかるので、我々のミスなのか、そもそも構造物が何か
あるのか、ということで、再度供試体をチェックすることができるのが利点だ。
大学に戻ったら、どうせまとめるのは翌日以降になってしまうし
上記の再検証は実質できないので、結局何も言えなくなってしまうから。

そういうパイロット的なことも含め、この現場を通じて、いろいろなことを
実践したい。

片道90分の車中では、学生と研究の戦略を練る場なのでその時間も
大切にしている。
朝は気持ちが高ぶっているのでそれができるが、さすがに帰りはぐったり。


現場とは直接関係ないところで失敗。

1)寒いことを考えて、灯油ストーブを持っていったら、借りている公用車なの
中で灯油漏れ。車内が灯油のにおいであふれる。幸い、日中は日光を
当てながら乾かしたら、夜にはほとんど消えていた。
ストーブを何も養生せずに車内に積み込んだので、振動のたびにスプーン
1杯位ずつ漏れ出て、気づいたら1リットルくらい減っていた。

2)留学生の気分転換とおもって、帰りに首都高の大黒SAに行き、
横浜ベイブリッジの撮影スポットに寄ろうと思って停車したのはいいものの、
SAから外には出られず(私の完全な記憶違い)何も見えないまま終了。

日帰りの現場が多いのだが、今年度は一体何日現場に出たのだろう。
一度数えてみよう。データはないが、公用車の利用時間、利用距離数も、
大学一番ではないだろうか。

2011年1月25日火曜日

寛容

結婚して子供が生まれたり、社会に出て色々な人と接するうちに、色々な立場、能力の人がいることでこの世の中は成り立っていることに気づく。

私も若い頃は、屁理屈ばかりで、得した、損した、という狭い見方しかできていなかったことを考えると、恥ずかしいが、皆そういう時期があったのを乗り越えているのだろう。
人のミス、間違いに対しては、それで被害(というと大げさだが)をこうむった人は、何かしらの謝罪を受ける権利があるのは、明文化されているかは別として一般的に思われている。しかし、それを些細なことに対しても要求することばかりで、最近はギクシャクしているしているように思う。ぶつかったから謝れ、店員がミスしたから返金しろ、など。

ステレオタイプ的な批評になるが、古きよき日本、サザエさんやちびまるこちゃん、の世界では、おじいちゃん、おばあちゃん世代の大人が諭すことで、秩序が保たれているような気がする。色々な世代が生活することで、色々な考えがあることを自然と知る。
先週、馬淵澄夫前国土交通大臣の講演を横浜国大で聞いた。先輩の立場として、土木出身の国会議員として、日本人として国土交通はどうあるべきなのかという生のメッセージを発信された。その際、彼のベースとなっているのが、12人家族で暮らした、贅沢はできない、我慢することばかりだけれども心の豊かさを感じる幸せ、である。私は、兄1人の4人の核家族で育ってきたが、今は結婚して妻の家族とも、同居はしていないがわいわいがやがや付き合っている。規模の大小はあれ、彼の言わんとすることは、心から共感できる。


権利を主張するギクシャクした中、逆に、本来の意味でのクレームをつける、ということが、日本人ができていないのではないか、と思うことが多い。例えば、何か不具合を感じた際に、相手に対して、「これは違うと思う」と、まずは報告して、話し合うというアプローチだ。実は、そうやって冷静に第一ステップを踏むのは、大人の冷静な対処が必要となり、高度である。しかし、それを飛び越えて、そのように話し合うことも無く、いきなり対立の構図で、「謝罪しろ、返金しろ」、という要求となることが多いように思う。

何かを指摘することは、人と積極的に関わることであり、コミュニケーションをとらなければならない。慣れないと、それは苦痛だ。それを軽視すると、個人としては楽だろうが、結局はぎすぎすした関係になる。逆に積極的に関わることは、結果としてよいものを生み出す。
研究室も放っておけば、希薄なものになってしまうだろう。しかし、教員と学生のコミュニケーションや、先輩後輩のつながりを、くどいようでも続けていれば、うまい具合に混ざり合って、良い方向に向かうと思っている。

2011年1月24日月曜日

巻き込むこと

所詮人間は一人では活動できないわけで、巻き込まないと、成果が出ない。巻き込まなくてもそれなりの成果はでるが、短期で力尽きてその後が伸びない。
高校まではいわゆる勉強ができていれば大学には入れても、その後、人間との付き合い方ができていないと大学や社会に出て伸びない、活躍できない、ということと似ている気がする。

そういうこともあり、うちの研究室では最近はグループ単位でミーティングを積極的に行ったり、勉強会をしたりしていることに繋がっている。私の主催した表層品質ミーティングは、その目標であったが、本当に活発に機能したのかと問われると、半分はyesとはいえるが、半分は細かいところに手が回らず結果として惰性に任せて運営していたこともある。自律的に(自立ではない)動き出すためには、やはり、ある程度方向性を位置づけることが必要だと再認識。

話は戻り、巻き込むことについては、特に実験面についてはひしひしと感じている。
基本的姿勢として、学生から私への助け要請の半分は、作業を教えて欲しい、である。たまに、手伝って欲しいという依頼もあるが。私への作業依頼に関しては、研究室の位置づけを説明して、単に人手のみということは本来望ましくないことは説明するが、そういう時は学生もどうしようもなく相談に来ていることが多いので、説明の後、最低限手伝う。
大事なことは、作業を教えることについてである。1回の説明で、たくさんの人が学ぶように仕向けたい。年度の前半、中盤であれば、それは可能である。誰かのニーズをきっかけに、講習会扱いにすれば、人は集まる。ただし、本人以外は、モチベーションが薄いので、殆ど無駄になる。とはいえ、ゼロではないので次に繋がるので、よしとしている。

もうひとつは、今は関係なくても、基幹となる部分や考え方を学ぶ経験となると思うものについては、来年度もいる学生、特に博士のように全般的な指導の立場になる学生に対しては、叩き込んでおきたいと考えている。そうやって知識を分散しておくことで、私個人としてはいちいち対応しなくても良くなるし、鍛えられた側としてはそれが血肉になると思う。
私自身、必ずしも同じ形で教わったというものではないが、結果としてそういう経験をしてきたことが今の糧になっている。少なくとも、その年代に経験する場を提供する、という意味で後輩を育てたいと思う。

自戒としては、細かい実験テクニックは単に手段なので、それを押し付けることはしないこと。あくまでも考え方、ものの見方を、私のやり方を通じて伝えること。それと同時に、ツールとしてこういうものがあるという紹介をすること。ある事実を知っているだけで、研究が大きく進むことは多い。その辺はバランス感覚が重要。

2011年1月18日火曜日

名は体を表す

名は体を表す、とはよく言ったものだ。

最近というか、いつもというか、学生のゼミ発表においても、タイトルと内容の不一致というのはよくある。ほとんどの場合、大してタイトルに注意が払われていない場合が多いので、指摘は本質的でない場合もある。

最近気になるのは、予備実験という用語が多用されていることだ。その殆どは、実質的に練習であることが多い。それは、はたして本来の意味の予備実験なのか。練習なら練習、○○を検討したのなら、それを行うことが目的である。まずは目的をはっきりすること。そうすれば、自ずから、やるべきことが見えてくる。

予備という言葉が、あまりにも一般的なイメージを持っているので、そういう誤解というか、わかった気になってしまうように思う。むしろ、「あいうえお実験」とでもしたほうが、一見意味が分からない分、緊張が増す気がする。(あいうえお、に特に意味はない)

昔から身についているのは、実験の試験体の名前を考える時が、ある意味、実験の最大の山場を迎えた、と思うことだ。何度も何度も修正しても、しっくりこない時があり、最後、コレだと思った時のうれしさはない。大抵、実験開始前に決めて使っていた名前は、論文を書く段階には却下されて変更になることが多い。古い名前の入った実験写真を撮っていると困るわけで。

たまに車通勤の帰りにラジオをつけると、○○の名称を考えようという投稿コーナーがあって、結構本質的な指摘もあったりで、面白い。先日は、「体操座りをしながら、上着の裾を伸ばして膝を隠すしぐさ」の名前を考えようというものだったが、答えを知る前に自宅に着いたので結局何が出てきたのか気になる。

2011年1月15日土曜日

主体性を持つ。カレンダーにおいても。

自分の行動に主体性を持つ、という話は、7つの習慣にも書かれている通り、ここでは言及しない。

部屋(職場)に1枚貼っておくカレンダーについての話である。

手帳は、業者等から配布されるものを使う人もいるが、自分が気に入った同じものを続けて買う人が多いだろう(1月始まりの能率手帳が好きな人は、いろいろな業者が配布しているので、それを待てば買う必要はない。ただし、私は「4月始まり」の能率手帳にこだわりがあるので、買うしかない。先日、4月始まりは1月に劣るかもしれないと書いたのは、再検証ののち却下。やはり4月がベター)。

ところが、カレンダーについてはあまり聞いたことがない。デザインの観点から、○○社が好きだ、というのは聞いたことがあるが、それ以外はあまりない。
数年前にたまたま、コンクリート試験機メーカーのA社のカレンダーが、シンプルかつ、私が目にした中で唯一、余白に小さく、翌月のほかに翌々月のカレンダーまで1枚に収めており、それがとても使い勝手が良い。たとえば、1月の今であれば、卒業式シーズンの3月がすぐに見える。また、前月も載っているので、合計4か月分がわかる。前後1か月のみは、一般的だが、私はそれでは満足できない(明らかなニーズがあるから)。

2か月先まで表示するという観点では、B社が配布している、3か月カレンダーもある。ミシン目がついていて、上から、3、2、1月になっていて、1月が終わるとミシン目を破ると、破った先が4月になっていて、常に2か月先まで表示される。しかし難点があり、2月時には、上から3、2、4月と変則的にってしまう。人間工学的に合致しないため、パッと見てわかりにくい。見た瞬間、今何月だっけと探さなければならないのである。1枚につき3か月分を含むので、全部で4枚である。

ところが、そのA社からは、あまりモノを購入しないためか、今年はカレンダーをくれなかった。いや、それ以前に営業挨拶すら来ていない。困った。私の行動が、A社に支配されていたのである。主体性がないではないか。とりあえず、B社が毎年採用している前出の3、2、1月カレンダーを初めて掛けてみたが、しっくりせず、数日使ってみても年が明けた感じがしなかった(言い過ぎ!)。年明け早々、有料でいいので、A社が採用しているカレンダーがないか探したが、もともとメーカーがわからないので、類似品は見つからなかった。

しかし、その過程で、素晴らしいものを見つけた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0041XQTBQ/ref=oss_product
上から1、2、3月の3か月のフルのカレンダーなのである。では、2月になったらどうするのか、という質問が出よう。なんと、1か月ずらして、2枚目は、2、3、4月の収録という、何とも贅沢な作りとなっている。よって、12枚のカレンダーだ。
ただちに、アマゾンで予約して、先日届いた。細部にもこだわりがあり、それはHPに譲る。今日から使い始めたが、よさそう。これは毎年死ぬまで購入するかもしれない逸品であると感じる。来年も買うかは、11月ごろの日記を楽しみに。

++++++
敬意を表する意味で、会社名とホームページを記載。
ショウエイドー(http://www.shoeido-inc.co.jp/
カレンダーは季節ものなので執筆時点でカレンダーの記載は少なくなっている。

2011年1月13日木曜日

ポジティブの1年に

更新が滞っていましたが、これで日記も新年が明けました。

昨年の日記は、○○ができなかった反省など、ネガティブな記載が多かったと反省(またネガティブ)ですが、日記には現れていないけれど、色々と研究が進んだり、知見が統合されて今まで勉強していたことがつながったり、委員会でも存在意義を感じる(自称)ようになってきたりで、非常にポジティブに生活しています。某先生からは、やはりそういうことも日記にPRすることも重要なミッションと言われており、そうありたいと思っています。

今日のJCIの学会論文締め切りに向け、一応順調に来ています。(本来は前日には終わっておきたいところですが)
さて、気づいたら1時間以上、今朝ある学生とディスカッションしていました。ひび割れと物質移動の関係で、話せば話すほど、私のこれまでの知見が、過去の知見とリンクして、自分の中で新たな発見や、事象の理解、仮説の立案ができました。学生は必死でついて来ようとしていたみたいですが、とても楽しい思考過程でした。結果として、その学生からのアプローチがなければ考えなかったことなので、とても良い場を提供してもらったと思います(これもポジティブ思考)。

気づいたら、JCI投稿まであと4時間半。ぎりぎりになることは無いですが、ミスの無いようがんばります。

思えば遠くへ来たもんだ

香川県コンクリート診断士会は、年会費を集めていないが故に日本コンクリート診断士会に分担金(そのお金の正式名称は不明)を払わないため、当該ホームページには掲載されていないが、きちんと設立した団体である。 昨年11月に現在の形で正式発足して、ほぼ1年が経過するが、今回の定例会参加...