2011年5月31日火曜日

健康第一

娘(4歳)の風邪に引き続き、息子(2歳)の風邪と続き、かれこれ10日間くらい、我が家が苦しめられている。もちろん24時間面倒を見ている妻に感謝だが、私もこの土日は一緒に過ごして、その大変さを改めて実感。特に長男の咳が激しく、夜中も数時間毎に起きて、本人は一度起きたら1時間くらい眠れないので私や妻と一緒に過ごしたりで、我々の睡眠も断続的に。久々にきつい週末だった。
月曜日は昼過ぎまで病院に連れて行ってから、午後に出勤。


ということで、本人の体調管理も大切だが、結局は家族全員の健康がいかに大切か。

必ずしも子供の風邪だけの理由ではないが、締め切りが過ぎている事務の提出が、1週間以上遅れて月曜日に出します、と言って先延ばしにしていたものの、想定外に土日月はまったく仕事ができず、火曜日から作業を始めて、さっき提出するという失態も。

この日記も、更新する余裕なしで1週間過ぎてしまった。書きたいネタはたくさんあったが。

2011年5月25日水曜日

改善

本日は、学生実験本番の3週目「載荷」。

元々メニューが多くて時間内にこなせるかどうかが課題となっていたが、ティーチングアシスタント(TA)の工夫のあとが見られた。とはいえ、事前の連絡を受けていない内容や、連絡を受けていたようだが私が見落としていて結局チェックができていない内容もあったため、当日気づいた段階で私から直前の再変更をお願いしたり、コメントしたりだいぶ介入した。そういう意味で、お互いやりにくかったこともあったようだ。

まず、このようなコミュニケーション不足に対しては、双方が徹底して気をつけるしかないだろう。特に、改善結果だけを示した資料を渡されても、そこに改善されたものが入っているかどうかは相手には瞬時には伝わらない。これはどの場面でも共通だから気をつけなければならない。

それでもなお、20分ほど時間オーバーとなる。講義時間内に終わらせるというのも大きな目標にしているため、終了後のミーティングで改めて検討。180分間では全てを丁寧に行うことはできないため、再度何を優先すべきかについて議論し、それなりの結論がでた。一度決まりかけたことでも、別の学生から別の視点が出て、その角度からの検討をするということを繰り返し、一応こなせそうな案を練り上げることができた。

教えたいのは、実験なのか、作業なのか、知識なのか?今回のように時間に制限がある場合には、一つ一つきちんと検証し、本質を見極めなければならない。

このように、今年大きく学生主導へと舵を切ったことで、自主的な改善意見が出ることに素直な喜びを感じている。以前のように私が主導権を握りすぎていると、学生は作業のみになってしまうし、トータルのパフォーマンスは得られなかっただろう。改善の案も、上から見ている私一人では気づかないところも多く、特に今日の議論は良かった。

2011年5月24日火曜日

ブラウザを変更

GoogleのGmailとの相性が良いと思っていたブラウザChromeだが、pdfのダイレクト表示がおかしい、最近Gmailのオフライン機能との相性が悪くなった、ドキュメントのダイレクト編集の文字が飛ぶ、ということで不満を持っていた。しかし、Chromeのブックマーク類の同期によって、自宅、モバイル、大学でシームレスに連携ができていたのが手放せなかった。

ところが、ついに堪忍袋の緒が切れて、先ほど、IE8と比較検討した上で、30分ほど格闘して、結局Firefoxに落ち着き、ブックマークのインポートと同期の設定が終わった。

上記の不具合は全部解消しているようだ。

細かなストレスだが、PCを使うほとんどの時間を占めていたので、掛け算にするとかなりなもの。以後、業務効率アップか。

→追記:インストールした最新版のバージョン4では、GMAILのオフライン機能がサポートされていないことに気づく。FireFox3.6をインストールしなおして、大丈夫の模様。

コンクリート研究室夏合宿 9/12-14 in東北

今年のコンクリート研究室の日程が決まりました。
9/14(月)-16(水)。
場所は、東北地方で、地震・津波被害を学ぶ場にしたいと思っています。実施方法は、今後詳細を検討していきます。

さて、3年前の夏合宿も、三陸リアス鉄道を中心として仙台~久慈としました。その際に、研究室OBも1名参加されました。

この研究室の合宿はOBに対してはウェルカムとしています。今年は早めに日程が決まったので、今から呼びかけます。

Facebook

Facebookにて、勝手に

Alumni of Concrete Laboratory, Civil Eng., Yokohama National University

という名前のグループを作り、関係者を勝手にどんどん登録しています。

まだ機能していないけれど、それぞれ、OBOG同士を認識していただければと思います。

2011年5月23日月曜日

ブラックボックス

先ほどの投稿に続き、同じジャッキを使う作業の中で、○○ができないから△△した、という行動がいくつか見られた。

○○と△△の間には、一見、互いに連関しているように思うが、よくよく考えると「風が吹いたら桶屋が儲かる」という風に飛躍している。

例えば、「ジャッキを設置するとゲージが切れる恐れがある」、と発言したケース。

私は問いかける。どのように切れるのか。

「ジャッキを設置するとジャッキがゲージに当たるため、ゲージが切れる恐れがある。」

では、どのように設置すると、ジャッキのどの部分が当たるのか、と問いかける。

「このように・・・・。あれ?実際には当たっていない」 実際には、ジャッキの端部には凹凸がついていて、凹んだ部分をあてれば、ゲージには当たらないので、結果としてゲージは切れないのである。


事実にブラックボックスはない。人間が作り出したり、人間が気づかないだけである。

こういう概念的なことは、多く失敗し、その際に痛恨で学ぶしか解決方法はないと思う。

さすがに指導の方法としては、つるし上げたり、責めることは、デメリットの方が多くて逆効果である。対話の中で、本人がまずい、と気づかせることがボディーブローのように効いて来る、と私は思っている。

もう一人私がいたら、「あんたは、何を根拠に、その方法がいいと考えるの」と問いかけるかもしれないが。

定石

夕方から学生実験の作業。プレストレスの導入とグラウト注入。前回の1回目は、ビデオで撮影されながらレクチャーし、今回は2回目なので、学生に任せて行うのを横で確認していた。

始めるにあたり、前回は学ぶのが精一杯であっただろうから、本日の作業を行いながら手順書を作るように指導する。マニュアルは、次回以降それをまねしてしまうので余り作りたくないが、今回の場合にはプレストレスという危険な作業であることから、危険に対処するための手順書という位置づけである。私がこのような手順書を作ろうとする際には、一般的な、理由もないリストは作るつもりはない。なぜそうなのか、や、あまりこだわらなくてもよい作業なのか、などを区別しながらはっきりさせて、仮に変更が必要になった際に、その人が判断できる内容も沿える、という独自のものである。

注釈が多いということになるだろうか。注釈といえば、畑村氏の本は多いと思うが、私もこういう文書を作ることになると、自ずと書きたくなるのが不思議だ。

さて、作業を観察していると、学生は自分たちで理解したとおり行っているものの、独自解釈であったり、趣旨を理解していなかったりで結構間違えていた。彼らにとっては1回目であるから、間違えること自体はしょうがないと思っているので、ではなぜいけなかったのかを、きちんと説明した。

前回ビデオを撮影しておきながら、なぜこうなったのかについては、その後フィードバックしていないだけであるが、そもそもそのシチュエーションはよくある失敗例に近い気もして、継続して検討したい。要は、手順書を見ないことによる失敗、である。ビデオだけでは、わざわざ見る気にもならず、結局見なかった例である。

さて、全般的に感じたことであるが、「○○と思った」から行動した、というミスである。そもそも思ったことが間違っているのである。Aと教わっていたことであるが、それはBに変えたほうがよいと勝手に思って変更したことによる、別の問題が生じている。これが、関係者も含めて初めての経験であれば、しょうがないだろう。しかし、そうではないし、しかも、前回ビデオの前で私は話している内容である。サラッとではなく、何度も強調して。

ここでは、私が強調したことを理解していないことを責めているのではない。伝わらないことがわかっていたので、フィードバックする機会を設定している。

一歩成長するためのコツ。まずは、謙虚にその通り従うこと。次に、従うことの理由を完全に理解すること。完全に理解してメリットもデメリットももわかったところで、初めてオリジナリティを加えて変更することができる。

研究の取り掛かりも似ている。研究テーマは教員側から与えられる。その段階では学生のものではない。ある程度のバックグラウンドと初回の切り口もたいていの場合教員から与えられる。初回の発表のパワーポイントなんて、学生のオリジナリティは殆どない。しかし、教員から与えられたこれらのエッセンスを自分で消化して自分の言葉で発することができた段階で初めて理解したことになり、そこから、自分の発展ができる。

学ぶということは、何にしても同じではないだろうか。

示方書の改訂についても、示方書勉強会で痛いほど学んだ。いや、まだ学びきれていない。

2011年5月16日月曜日

一勝一敗

コンクリートの表層品質に関する委員会のブラインド試験において、私および横国チームが主体になって開発してきた表面吸水試験機を用いて、課題である2つのコンクリートについて、1つは全問正解、もう一つは1/3というスコアだった。一勝一敗であるが、その一勝は大きかった。

これまでやってきたことの評価が目に見える形になって素直にうれしい。これをステップにさらに発展させたい。

単に結果が満足という短絡的なものではないが、研究がある段階に来ているということの楽しさから、懇親会ではお酒が進む。翌日、ちょっと二日酔いだったが。

ホテル予約

JCI年次大会(大阪)と土木学会年次大会(松山)のホテルを予約完了。とりあえず、直前にどたばたすることは回避できた。あとは松山の飛行機を。日程が確定したら、ビジネスパックの方が安上がりになるので、コスト削減の努力をせねば。

2011年5月15日日曜日

土木同窓会総会 コンクリート研同窓会

卒業生の皆さんへ

2011年7月9日(土)に土木同窓会の総会と、夜からコンクリート研究室の同窓会が行われます。今年の総会は、細田先生から津波調査について、池田尚治先生から性能創造型設計について特別講演があります。2期の伊藤さんが幹事のため、とにかくコンクリート研一色のようです。

OB、OGの皆様、これを読んだら、すぐ、手帳に予定を記入してください。よろしくお願いします。

先週、手元にあったメールリスト宛に上記の連絡を送らせていただきました。ただし、最近卒業生などはメール登録していなかったため、まだ送れていません。早急に再送したいと思っています。他にも届いていない方がいれば、ぜひご連絡ください。

2011年5月10日火曜日

充実

本日は、慌ただしかったが、充実していた。

朝から土木学会の委員会WG。委員の皆が震災でバタバタしていたこともあり、久々に開催されたWGにおいて、いきなり続きをやるのではなく、これまで進めてきたことの確認作業が行われ、意思統一が図られた。この進め方は、私も薄れた記憶を戻すことに役立ったし、きちんと方向性を確認することができた。主査、幹事の先生方に感謝。
会の終わりに、私ともう一人の八戸工大の先生から、震災調査の報告。横国のオリジナリティは出せた、と思う。

委員会は12時半に終わり、12:38の電車に飛び乗り、グリーン車で弁当を食べ、横浜からタクシーに乗って研究室ゼミ会場へ。13:40大学着。

研究室ゼミでは、学生の発表4件と共に、教員からの話題提供の3週目が私の担当。これまでの研究の概要と、今年学生に提示する新規テーマ3題の趣旨説明、周囲の研究との関連性などを披露。質疑応答の中で、両先生から、このテーマの位置づけや、発展性、新たな切り口などの示唆をいただき、意義がより明確になったと思う。ゼミ修了後、M2の学生が、私の部屋を訪ねてきて、突っ込んだ本質的な質問をくれたり、自分のアイディアを披露してくれたりで、うれしかった。

引き続いて、表層品質に関しての第1回全体ミーティング。新年度になってメンバーも入れ替わり、趣旨説明。ただ私は昨年同様の内容を繰り返しており、今年の切り口を明言をしていなかったことに対し、細田先生から的確なアドバイスというか今年やるべきことの骨子をびしっと披露される。私の認識の甘さが。今年は私も多くの部分で表層品質の中心に立って引っ張っていかなければなないので、やります。

その後、学生実験の準備に関してクレーン操作をし、18時過ぎから、研究室の有志の懇親会。当初、研究テーマの希望調査についてのフランクな質問を受け付けるような形を想定していたが、内容はそうでもなかったが、私も含めちょうど良い時期だったと思う。私も一段落したこともあり、久々にお酒を飲んだ。その後続いてH先生と横浜で飲み、これまでの事、これからの事、いろいろと話をする。

明日の朝は、0時限として午前7時30分からの学生実験の練習「梁のプレストレス導入」があるが、学生も真剣なので私も寝坊するわけにはいかない。とはいえ、先日購入した中坊公平の本を読みだしたら止まらない。森永ヒ素ミルク事件のくだりは、涙なしには読めなかった。教室見学会で豊島の産廃事件について説明を聞いた時から、中坊公平の著書を読もうと思っていて今になった。

2011年5月9日月曜日

グラウトの指導を乞う

内容は後日。

マネジメント

昨日、技術士2次試験の願書を郵送した。今年は合格する、という決意を新たに。とはいえ、論文投稿、研究、教育、委員会、等が目白押しなので、振り回されているとあっという間に8月を迎え、技術士の一般論文の勉強がおろそかになるのは、目に見えている。それでは、上位10%に入る文章を書けるわけはない。

若くはないのだから、この位の仕事量はきちんとマネジメントして成果を出さないと、今後一生頑張っても無理だろう、と言い聞かせ、今年はやるべきことをきちんとこなすことに注力したい。

まずは、論文投稿。

2011年5月8日日曜日

北海道

車中つけたラジオで、「大地の詩」という映画の紹介をしていた。途中からつけたので全貌はわからなかったが、ピンと来るものを感じ、帰ってから調べてみた。映画か、原作でもいいので見たみたい。
http://www.gendaipro.com/tomeoka/index.html

北海道の監獄というと、吉村昭の「赤い人」という小説をお勧めする。北海道に縁もゆかりもなかったが、前の夏合宿で函館を訪れるために、読んでみた。北海道の開拓がこのようにして行われたのか、と想像を絶する現実に驚く。吉村昭「破獄」も関係する。

この映画はまだ見ていないが、メモとして日記に記録。

2011年5月6日金曜日

林文庫、始めました

前から言っていて実現していなかった、林文庫、本日開設しました。302号室の細田文庫の棚の下の方に1段確保しました。

私が読んで、他の人に勧めたい本を置くようにします。ブクログとも連動しようと思っていますが、有機的な連携はまだ先。とりあえず、手元の本をブクログに登録しつつ、面白そうな本を文庫に収納ということになるでしょう。

高校生に対して、土木工学とは何か、土木工学の魅力というものを紹介するページを作る、と飲み会で豪語していた割には動かなかったことも、ブクログにて、それらしきカテゴリを作って紹介しています。

ブラッシュアップは今後はかるとして、まずは始めることが肝心。後はなんとでもなります。

土木遺産に関する本、橋梁についての本、も、カテゴリを分けて、そこに集約するようにしようと思っています。このカテゴリ分けは後日。

知っていることと知らないことを知ること

先の日記にて、「知る」について書いた。

最近、学生と対峙していて、おやっと思うことが何度か続いた。

1)何かの調べ物をしていて、ここまでが事実、ここからが先が事実から導き出した推論、という明確な2つのものがある。これをきちんと認識しているだろうか。

2)計測をしていて、ここまでが生データ、ここから先は生データと定理等を使って計算した2次的なデータ、さらに、これらのデータと何らかの仮説を併せて推論した値、という3つ(生データかそれ以外かと分けると2つ)のグループがある。これをきちんと認識しているだろうか。


研究をする上では、認識を間違ってしまうことは、致命的だ。研究でなくても、世の中を渡っていくうえで、状況をきちんと認識することは必須である。


3)似たような例として、ガラスが割れました、ガラスを割りました、の区別ができない人もいる。人を擁護するという付加的な情報が入っていることはわかるが、それ以前に、物事の認識がきちんとできているのか、について、疑いを持ってしまう。

この文章は、愚痴ではない。単に指摘して終わるだけではない。私は、どういう風に行動すべきなのかについて、きちんと教えるつもりだ。

その認識を整理するために、この日記を役立てている。

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知っていることしかしない、という意味ではない。世の中は、五択のように思っていても、実は知っていることをきちんと認識して分離すれば、二択程度まで絞れるという感じである。十分に時間と情報のある通常であれば、何に努力もせずに二択に掛けるほど、ギャンブラーではない。しかし、現場に行ったような場合、短時間に何が何でも結果を出さなければならない場合には、二択でも選択しなければならないこともある。

2011年5月2日月曜日

記憶力

私は小、中学校は、学校の成績もよかった。高校に入ると、トップクラスではないものの、進学校ということもあり、高校内で中程度でもそこそこ良かったと思う。高校ぐらいの時から、本当に頭が良い人(機転の利く人、というか、素晴らしい人)は記憶力が良い(その逆も)、ということに気づいた。それを痛感したのが大学に入ってだと思う。私には及ばない世界だと。

私は暗記が苦手で、勝負弱い(これを関連付けてよいかどうかは別として、当時強く思っていた)。周囲の人を見ていると、要領よく勉強して良い成績をおさめたり、学業でなくても機転がきいてかっこいい存在ということに憧れ、彼らは決まって記憶力が良い、ように感じた。記憶力というものは、生まれ持っての才能で、私は彼らから取り残されてしまい、今後挽回できない、とまで思っていた。

それから10年以上たって、今言えるのは、上記の認識は間違っていたこと。先天的な狭義の意味での記憶力に差はあるかもしれないが、人間の総合力である「見かけの記憶力」は生まれた後の努力でなんとでもなるということだ。記憶しているというのは、その時々によく考えて、何度も心に刻みつけていることの結果に過ぎないということ。日記も、それを書くときに刻むということを無意識でやっている。

理解するということも同じで、まったく同じことを聞いて、受け止め方に差があるのは、脳の機能の違いというよりかは、理解するときに頭を使っているか、そして、本質をキャッチできているか、の賜物だと考えている。

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私は先月から失敗学会の会員になった。年会費を払うだけなので、特別な資格はない。畑村洋太郎氏らが立ち上げた学会である。

もう10年近くになるが、安全衛生ということを認識し、そのことが、研究を進める上で、失敗をどうやって防ぐかということに帰着することを学び、ほぼ同時に畑村氏の提唱する失敗学というものも勉強する中で、ヒューマンエラーに対峙する考え方が身に着いた。これは、もう私の行動原理の中心になっている。

人間の記憶はあてにはならないし、記憶をあてにしたシステムはいざというときに危うい。

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さて、本題に戻る。


学生実験のティーチングアシスタントとの打ち合わせの中で、実験や計測についてのことがらを教えることとなった。学生は、ビデオを撮影したいといったが、先週の津波調査からビデオは帰ってきていないので、物理的になかった。たとえ存在したとしても、ビデオがなくても伝えられる。

私から実験に関して習う人は、薄々気づいていると思うが、「メモするな」と何度も言う。1回の説明で口を酸っぱくして10回位言っていると思う。私が心がけているのは、

1)構造的に教える。構造的とは、アウトラインをまず教え、各論に入ること。いきなり各論から入らない。
2)暗記すべきことと、暗記すべきでないことを、明らかにして教える。暗記すべきことは、口頭で言っても伝わらないことはわかっているので、後でメモを示すなどして、その貴重な時間を暗記の時間にならないように心がける。ただし、メモを作る時間がないときに、学生にそのメモを作らせることはある。そのメモは、次回の説明の際に使う。
3)すべての行動について、理由があるので、それを説明する。

普段の打ち合わせはできていないと思うが、実験や安全について説明するときには、常に心がけている。私は、これまで先輩等から、実験に関してレクチャーを受けた際に、そのような説明をしてもらったと思う経験はほとんどない。だからと言って、それでよいとは思わないし、時間を有効に使うには、それが必要と思っている。

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例えば、ひずみゲージを貼る方法について、TAは間違えたまま梁を1体作ってしまったようだ。表と裏という2つに1つのところを、全部間違えたのかもしれない。

わかっている人にとっては、靴下の表と裏のように、間違えようがない。しかし学生は間違った。なぜだろうか。別に学生を責めようとも思わないし、むしろ、そいういう教育をしてしまった自分に非があると思い、どうすればそうならないか、考えてしまう。

横断歩道を渡る信号の赤と緑がどちらだったか忘れてしまったとしたら、人はどうやって色の意味を見つければいいだろうか。周囲の人に聞く、ウィキペディアで調べる、ということをしても、たまに間違っていることもあるので、正しい保証はない。そんなことに似ているような気がする。似たような例で、遠い外国に行ったら、信号がオレンジと紫だったら、どちらの色の時に渡るだろうか。

信号の色は、何かを伝える手段であり、目的ではない。よって、そもそもの信号の本質に戻らなければならない。渡るべき時期と止まるべき時期を分けるもの、である。じっと観察していれば、車が来ないときの色の時に渡ればよいことがわかる。

話をひずみゲージに戻す。ひずみゲージには表裏がある。ひずみゲージに刻印されている型番が読める(半透明なので)向きに貼るのは正解であるが、それは単に結果である。型番が印刷されていないものもある。ロシア文字かもしれない(嘘)ので、アルファベットが裏側になっていても気づかないかもしれない。

コンクリートや鋼材面に密着すること、させることが大事である。密着のためには、平らな面がぴたっとくっつく必要がある。よって、凸凹した面は外側なのである。

ただし、学生は、センサーが金属で、フィルム面が、それを覆うカバーだと思い込んでいたようである。これでは、私の上記の説明だけでは、間違える恐れがある。

私が前述の説明で省略した部分は次の通り。金属のセンサーは微小なものなので、それだけではコンクリートや鋼材に貼ることはできない、そのため、それよりも大きな薄いフィルムを、コンクリートや鋼材に貼る。なお、事前に工場において、フィルムと金属のセンサー部分はくっつけられている。

そういう本質、言い換えると、ゲージの原理(に近いところ)まで理解していると、もう、表裏を間違えようがない。

では、どうすれば間違いないのだろうか。先輩や先生や、説明書から学ぶときには、単に結果だけを知ろうとしないこと。結果だけを知ると、単に暗記になってしまい、前述の赤青信号のようになる。そうではなく、その本質に迫るところを知る必要がある。そのためには、なぜ、を常に問いかけることが必須である。

「教えてもらう」という一連の行動の本質は、「本質を問いかける」行動に他ならない。言い換えると、殆どの人は単に言われたことをメモするだけである。この行動を変えるだけで、他者に一歩先んじることができる。これも成長の一歩である。

なぜ、については、関連して思うところがあるので、別の日記に。

2回目の津波調査から帰ってきた

2011/4/27-2011/5/1の3泊4日の津波被害調査を終え、昨晩帰ってきた。

車の運転もあったことから、メールの確認やブログの執筆は敢えてシャットアウトし、夜は寝ることに努めた。前回、ブログに書くことで睡眠時間が削られて辛かったのもあったので。

学んだことは大きかった。

津波による落橋について賢くなったことは当たり前であるが、

1)津波調査結果、津波調査自体、を何かの形でアウトプットする。
2)私自身の強みについて再認識し、それを陽な形でアウトプットして、結果として周囲を高める。今回、8名のチームの中で、私の立ち位置としてそれを積極的に行ったつもりだ。それだけでなく、普段の大学において、学会の委員会で単独で参加した際において、など、もっともっと貢献できることもあるし、気を抜かずに頑張らなければならないこともある、とポジティブに再認識できた。

午後から、学生実験の打ち合わせ、指導もあるので、また現実に引き戻されるが、早いうちにアクションを起こします。