2011年9月29日木曜日

コンクリート研 山登り同好会 発足

先ほど、某先生からの提案を受け、本日、コンクリート研 山登り同好会が発足した。成行き上、私が会長になった。ということで、OB・OG、現役関係なく、興味のある人で始めたいと思う。寒くなる前に、秋晴れの日に第一回を開催します。

2011年9月28日水曜日

趣旨を尊重して

研究に限らず、プロジェクトは、大きな目的、趣旨が大事である。それが間違っていたら、間違った方向に導いてしまう。

逆に、具体的な指示だけ出された際に、そのことの持つ目的、趣旨がわからないと、単に作業になってしまう。指示を与える側は、趣旨を明確にして公開することが大事で、指示を与えられた側は、直接聞くか、聞けない場合には自分で考えて趣旨を類推する働き掛けも大事である。結局、どちらも起こりうることなので、両方の立場で気を付けなければならない。

人間生活というか人間の営みそのものにも言える。意図的に攻撃されているのでなければ、本来は良かれと思って、何かを行動しているはずである。話し合ってみてやっとわかった、というのは、相手の本心に触れた際に分かり合えた結果だろう。その辺をくみ取ると、世の中の些細ないざこざは、その辺の推察が欠けているために起こっている気がする。

わたしはかつて、相手の言うこと、行動することそのものに目が行って、満足したり、しなかったりした。一喜一憂という感じかもしれない。でも、それがわかってくると、相手はこういうことを考えて、こうやろうとしているのだな、というのがだんだんわかってくる。そうすると、具体的な行動にアラが見えても、趣旨は間違っていないのだから、と寛容になれる。

例示としてはちょっとずれるが、いいだろう。もうすぐ5歳になる娘がやりたいことは全部やらそうと思って行動してきた。これは、後からねだられたりする後始末をしなくて良い、という夫としての身軽さなので、良いとこ取りと妻から言われそうだが。たとえば、ハサミを使いたくなった際も、趣旨を尊重して使わせた。次はカッターが使いたくなっても、もちろんサポートはしながら、使わせた。怪我するかどうかという悩みは、どちらかというと管理側の悩みであり、こちらの都合に過ぎないので、「使って何かを切りたい」という趣旨を尊重して、使わせた。似たような例として、日曜大工も、中断されたり、邪魔されるのは面倒であるが、リクエストに応えてきた。今では、同年代の中では、電動ドリルを使わせたら日本で5本の指には入ると自負している。強要をしたことはないが、やりたいと言ったらすべてやらせてきた結果に過ぎない。この分野で才能を発揮するとは思えないが、トライする、ということはすべての分野に通じることなので、それを願って。

ここまで来て、なんか、全く同じことを過去に書いた気もしたが、まあいいや。
最近またブログを沈黙していたので、再開がこんな話題だと、何か沈黙と関係あるかと思う人がいるかもしれないが、ない。別に人間関係に悩んでいたわけではない。

2011年9月22日木曜日

ダミー

先日、私のブログが、なぜか冒頭の記事の冒頭だけ文字化けするとの連絡を受けた。初耳だが、下の記事を読んでもらいたいので、ここにダミー投稿します。

研究室夏合宿の学生感想文

先週、仙台集合の2泊3日で研究室夏合宿を行いました。今回は、被災地をメインとして、宮城、岩手。全体の模様は、現在、合宿幹事の鈴木君、鈴木さんがブログ形式で作成中です。

例年、学生には感想文を書かせて、到着順に掲載しています。学生には、早く、と急かしておきながら掲載が遅れるのは申し訳なく、1週間経過した今日から、暫定的に私のブログにアップします。この記事1つだけにして、今後追記していくことにします。一度読んだ方でも、更新の日付を入れるので、追加で読んでいただければと思います。最終的には、研究室HPに統合して、ブログを削除予定ですが、しばらく暫定的にこの記事に追記で掲載します。

2011/9/25現在(ほぼ到着順)
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博士1年 小松怜史
当初は、夏合宿として団体で被災地を訪れることにいささか抵抗感があった。被災者の心情が分からなかったからだ。しかし現地の人たちと実際に会話する中で、その懸念も雲散し、私たちが目指す土木技術者の役割の重要性を改めて実感した。
自分にとって、東北の被災地を訪れるのは、3回目であった。被災前(3年前の夏合宿)、被災直後(1ヵ月後の震災調査)、そして今回(被災半年後の夏合宿)である。見聞きしたことを鵜呑みにするだけの3年前から、己でも考える姿勢が着き、着実に物の見方も変わってきていることを実感できた。不謹慎な言い方になるが、良質な事例を経時的に何度も見ることは、自分の土木技術者としての糧になると感じている。
二度とこのような失敗を繰り返さないように、世の中に貢献できる人材になるために、今後も積極的に機会を設けて、東北の被災地を見て回りたいと思う。

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修士1年 倉田 峻平
今回の夏合宿が被災地に設定されたとき,正直まだ早すぎるのではないかと思っていた。現地は復興の最中であり,ボランティア活動をするのではなく,ただ見学するだけの団体が行ってはいけないのではないかと考えていたからだ。しかし,土木を学ぶ人間として,復興する前に被災地の様子を見ておくということは非常に大事なことだということを,実際に行って感じた。

被害の甚大であった被災地として石巻,陸前戸倉・南三陸,釜石,宮古,田老を回った。
これらの中で,石巻を最初に見学した。自分の目で見る最初の被災地であった。ここで受けた衝撃はすごいものがあった。バスから降りてみると,そこは異様にのどかに感じた。かつては一面住宅地であったということだが,それを感じさせるのは残っている基礎の部分だけで,あとはほとんどがただの平地のようになっていた。ガレキの大部分は撤去されて,別の場所で山積みにされていた。石巻では自然な音となっているだろうが,いたるところからガレキの撤去等の作業の音がずっと響き渡っていた。その時自分には何も手伝うことはできなかったけれど,本当に心の底から一日も早い復興を願った。

次に,陸前戸倉・南三陸を見学した。陸前戸倉では,堤防や橋が仮設のものであったが,その桁のなくなった橋脚の周りを流れる川の水が綺麗で,魚も多く泳いでいたことが印象的であった。南三陸で最初に見たのが,水尻橋とその横の高架橋だ。水尻橋は横に橋が仮設されており,横の高架橋は橋台だけ残っていた。津波の威力と,高さを体で感じた。水尻橋の次には,防災対策庁舎を見に行った。ここで,津波到達の直前まで防災放送で避難を呼びかけていた遠藤未希さんのことを思うと,非常に感動した。自分の命を危険にさらして,地域住民のために頑張っていた姿を想像し,すごく立派な生き方をした人だと思った。昨年結婚したばかりで未来に大きな希望を抱いていただろうに,その状況の中で,本当に立派だと思った。その他にも防災対策庁舎に当時30人の方が残っていたが10人しか助からなかったということで,遠藤さん以外の職員の方にも尊敬の意を評したいと思う。ひとつ思うのは,住民のために最後まで避難を呼びかけないといけないくらいなら,何故この建物はもっと高台に造られなかったのかと,そこが悔まれる。

二日目の最初の被災地は,釜石であった。小さな町だという印象であったが,高台の建物以外はほぼ全てやられていた。大きな漁船が打ち上げられているのは有名であるが,この船が喫水8mくらいとして,それが打ち上がるほどの津波というのは,すさまじいが,想像するのは難しかった。また,引き波で海底が見えたというのも聞いてはいたが,想像するのは難しく恐ろしかった。
宮古は通り過ぎることしかできなかったのが少し残念であったが,youtubeの有名な黒い津波の映像の場所を実際に見ることができてよかった。

田老では,世界一の防潮堤の上を歩いた。世界一の防潮堤にも関わらず,無残にもやられていた。小松さんたちは以前の夏合宿で田老を訪ねたらしく,当時の光景とのあまりにもの違いに小松さんが寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。災害を未然に防ぐ,もしくは軽減するためには,どの程度備えが必要なのか考えさせられる場所であった。崖にある,過去の津波の高さを示すものより今回の津波は高かったのが見て分かり,歴史的にみても未曾有の津波だったことが分かった。

以上,各見学地についてそれぞれ思ったことを感想で述べたが,各地域で規模は少々異なるが,どこをとっても非常に大きな被害であった。自分は被災した訳ではなく,半年間この被災地を訪れることもなかった。Newsを見ていても,日に日に震災への意識は薄れて興味を抱いていなかったのが事実である。しかし,横浜に戻ってNewsを見ると,明らかに以前とは違った目で見るようになった。現地の人々の気持ちも以前より考えるようになった。間違いなく,自分にとって貴重な経験ができた。日に日に今回の記憶などは薄れていくと思うが,たまにはこの感想文を自分で読み返してみたり,地図を眺めてみたり,撮影してきた写真を見ることで自分の中に刻み込んでいきたいと思う。

先生方,合宿係,各地域を調べてくれたみなさんに感謝します。
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修士1年 小宮 奈保子
今回、夏合宿に参加できて本当にいい経験ができた。例年行う土木構造物や施設の見学とは違い、今年は被災地の見学ということで去年とは全く違う合宿となった。現地に行って何があるわけでもなく、下調べなど自分自身の行動次第で得られるものが大きく変わると感じた。
実際に現地へ行くとただただ圧倒されるばかりであった。津波の被害を受けた地域は、事前に調べていたものが元の姿と大きく変わり、住宅地も基礎だけが残り、重機の音が響く街となっていた。半年たった今でもがれきは片付けられてなく、復興も進まないと言われているが、現地の人々が1日1日を生きていく姿を見て自分のやるべきことや将来のことを考えた。土木という分野は、人々の生活や命と密接に関わっており、本当に重要であると感じた。防波堤があったことで被害が抑えられたかもしれないが、しかし防波堤があったために安心感から逃げ遅れてしまった人もいる。土木技術者としては絶対に安全な構造物を造るのが望ましいけれど、それよりも非常時にいかに自分たちの命を守れるのかが大事であり、ハード面とソフト面と両方から対策をしていく必要があると思った。
貴重な機会をつくって下さった先生方、幹事の方、ありがとうございました。
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修士1年 藤原 麻希子
私は、今まで現場見学というのは行って、見るということに意味があると考えていました。しかし、今回の合宿を通して、実際に何を見て、何を感じるかは、すべて自分で考えて動かないと見えてこないし、自分のものにすることができないんだな、と感じました。事前に行く場所、被害の内容をDVDで知って、その場で“あぁ、ここだ、ここだ”というのは簡単だけど、そこから何を見出すかということはとても難しかったです。
自分自身の足で現場に立ってみると、数メートル水に浸かることの恐ろしさと、防潮堤の与える安心感、逃げ遅れの原因になったこと、水位の上昇も引き波の様子も見えない恐ろしさを実感しました。高くて立派な防潮堤こそ、逆に危険な状況に追い込まれているのかな、と思いました。今まで考えていた以上に、避難経路や訓練、思考回路などのソフト面が重要であることを知りました。

私は、不謹慎ではありますが、幸せなことに被災地に行く“きっかけ”を二度も与えてもらいました。前回はただただ驚くばかりで、調査についていくのに必死でしたが、今回少し落ち着いて、人々の暮らしも含めて見渡してみて、甚大な被害によって受けた被災者の心の傷はいくら考えても計り知れないし、決して代わってあげることはできないと思うと、本当に悲しくなりました。二度と、災害によって誰かに悲しい思いをさせないために、人々の生活を守れる技術者になりたいです。
最後に、忙しいなか、直前まで内容を詰めてくれて、当日バスの中での過ごし方にも配慮してくれた幹事の二人、きっかけを与えてくださった先生方に感謝いたします。ありがとうございました。
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修士2年 夏目 貴之
今回、夏合宿の行き先が東北地方となった時に、合宿の行き先としてテーマが大きすぎるのではないか、震災後半年では時期尚早なのではないかと思っていました。震災については、「何とかなるだろう、10年もすればいつのまにか元通りになるだろう」と考え、いつのまにか胸が苦しくなるような震災の情報は見ないようにして過ごしていました。しかし、夏合宿の行き先と決まり、じっくりと予習していく中で、テレビやネットのニュースでは知り得なかった被災地の生々しい実話の数々に愕然とすると同時に、如何に自分がこの震災から目を背けていたかを実感し、反省しました。そんな姿勢を改める機会として、しっかりと取り組もうと思い夏合宿へ参加しました。

よく言われることとして「伝聞することと実際に見ることでは全く違う」という言葉がありますが、
今回の合宿ほどそれを体感できたことはありませんでした。ガレキの山、見たことのない損傷を受けた家屋や橋梁、住宅地だった所にびっしりと生えた雑草、強烈な潮の匂い、地元の方と交わす挨拶、五感で感じるそれら全てと、被災時、被災前の動画や写真がリンクして人々が、どんなことを思いながら逃げ、あるいは立ち向かったのかと思うと、胸が締め付けられるような思いでした。と、同時に、二度とこのような災害を起こしたくない、そして、これから増々土木の重要性は増していくのだ、と感じました。

合宿が終わった今、来年度から新社会人として、インフラを造る企業の一員として、土木のエンジニアとして、また、一人の人間として、今できることは何だろう、これから先できることは何だろうと考えながら気持ちを新たにしています。
最後になりますが、合宿係の幹事として奮闘してくれた鈴木君、鈴木さん、本当にありがとうございました。また、長い道のりを走って頂いたバスの運転手さん、NEXCOの方々にも重ねてお礼をしたいと思います。

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学部4年 高田 康平 
今回は自身にとって初めての研究室での合宿でした。
震災当時は常に被災地の状況がテレビで流れていましたが,時間がたつにつれて落ち着いてくると普通の番組も流れるようになり現地の状況も少し落ち着いたのかなと思っていましたが,実際に沿岸地域に行ってみると整理され積み上げられた瓦礫,壁がなくなってしまった住宅,残された基礎や打ちあがった船,破壊された防潮堤など書ききれないほど多くのことから今回の震災の被害の大きさが感じ取れました。テレビを通して観るのと実際に現地で目の当たりにするのとでは受ける印象も違うし,このように大きな災害は自分が生きている間に何度も起こるものではないと思うからこそ学生の間に現地の状況を見ることは今後自分がエンジニアになる上で非常に大きな経験になったと思います。また壊れた橋から桁と橋脚の接続部や,防潮堤のコンクリートで覆われている中身など普段見ることができない部分を見られたことも大きな経験になったと思います。今しか見られないものを今のうちに見る機会があり本当によかったです。
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修士2年 青木 勇人
今回の合宿は,東北地方太平洋沖地震の被害にあった地域を訪れて勉強するという合宿であった.私は小学校一年生のとき西宮で阪神淡路大震災にあったが,今回の地震では津波被害がほとんどであり,被害の様子は全く違っていた.田老の現場を見て,防波堤などのハード面からのアプローチも限界があるように感じた.今回各地域を周ってずっと考えていたことがどうやったら家族,友人が生き延びれただろうかと言うことだった.土木技術者として将来働くわけだが,土木構造物は命に関わるものが多いし安全性や耐久性は最重要項目であると言える.しかし,自然の驚異は恐ろしいもので,私たちの自然災害に対する意識が高くないと生き延びることができないことを今回の合宿で痛感した.先日,小学校のみんなで同窓会をしたが,当時の地震で全員無事で良かったと痛感した.と同時に今回被害にあわれた方の悲しみは想像を絶するものであることも実感した.不謹慎かもしれないが,当時中学生のとき土木を志したのは地震の経験からきている.今回幸いにも助かった子供たちが将来土木技術者,あるいは漁業,医療,先生などで社会で活躍して,初めて復興したと呼べるのかなと感じました.
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修士1年 鈴木 洋美
今回合宿に参加するにあたって昨年と異なることが2つほどあった。被災地見学という現地では誰も解説をしてくれないこと、そして合宿幹事として運営側にいること。

合宿幹事としても合宿参加者としても、今回の合宿は下調べがとても重要になってくることに気がついたのは合宿が始まる2,3週間ほど前であった。NHKスペシャルのDVDを見たり、資料や本を読んだり、地図にいろいろ書き込んだり、そのときできる精一杯のことをやったつもりであった。しかし、合宿を終えた今、もっともっと調べてから参加したかったという気持ちが残った。

私が初めて見た被災現場は、今回被災地として最初に訪れた石巻に向かう途中の東部道路からの景色だった。何もない更地、津波によって流された車の山、そして堤防のように高く積み上げられた瓦礫の山であった。ただただ、うわぁ。という声しか出なかった。写真も映像もたくさん見てきたはずなのに、生の現場は想像を絶した。

落橋した橋、大破した防潮堤、防波堤。写真で見るものより生々しく、人間の無力さを痛感した。明治昭和と大津波を経験し、それらを考慮して造られた田老地区の防潮堤が崩壊しているのを見て、何も言葉が出なかった。土木技術者として何ができるのか、考えたけど答えは出ず、ただただ敗北感に浸るだけしかできなかった。

今回は例年と違って、解説者は誰もいない。しかしそんな中、バスドライバーの佐藤さんの話はとても貴重であった。現地に着くと佐藤さんも降りてきてくれて解説してくれたり、被災現場を見せるためにわざわざ道を変更して走ってくれたり、こちらの要望に臨機応変に応じてくれたり、幹事としても佐藤さんの存在はとても大きかった。

また、今回被災地に訪れて、被災者が一番前向きなんだということを感じた。石巻の「がんばろう!石巻」の看板、訪れた被災地で生活している人びとからの「ご苦労様」の声、道を聞いても何一つ嫌な顔をしない被災者たち。とても胸が熱くなり、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

今回は合宿幹事として合宿を作り上げる立場であったが、正直とても大変だった。先生方とのたくさんの打ち合わせ、学生との意見交換、バス会社との連携、そして被災地ということでどこを訪れて何を見るか時間配分はどうかなど、事細かに行程を詰めていかなければいけないことが何よりも大変だった。何を見たら学生が多くを学べるか、または感じられるか。現地の状況も分からないし、合宿の計画段階と実際合宿に行くときでは状況が変わっているかもしれない、などいろんなことを考え、林さんと何度もぶつかりながら合宿直前まで準備をした。合宿当日も時間配分や行程の確認、下調べの発表、走行中の解説など気が抜けない時間が続き大変だった。しかし、合宿が終わった今、私は幹事をやってよかったって思っている。今思えば、幹事2人でやった気でいたが、多くの学生、とくにM1にはたくさん助けてもらったし、林さんからもいろいろ指摘をもらいながらみんなで合宿を作り上げたことの喜びと安心感を実感している。25人とう団体をまとめること、そしてみんなに多くのことを感じてもらうこと、合宿がスムーズにいくこと、いろいろ考えて準備して、結果大きな問題もなく合宿は終わったけれど、幹事でなかったら学ぶこと、感じることはもっと少なかったように思える。同じことをやるにしても主体的にやるのとそうでないとで学べる量も今後の生活に活かせるかどうかも変わってくることが良く分かった合宿だった。

幹事としても参加者としても、多くのことを学べた合宿となった。被災地で感じたこと、運営側として学んだことを決して忘れないように、インプットしてさらに今後の学生生活、人生にアウトプットできたらいいと思う。
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学部4年 木村 彩永佳
被災地に行ってみて
大震災が起こり,土木という分野の重要性や責任の大きさ等を改めて実感することが多くなりました。そして,いろんなことを見たり知ったり勉強しました。しかし,実際に町を目にすると,考える余裕が無く,変わり果てた光景に信じられないと思ったり,自然の恐ろしさを感じたりすることでいっぱいいっぱいになってしまうこともありました。ただ,その場だけでは終わらず,今後も課題や目標を見つけたり,意識を変えるきっかけになる貴重な経験ができたことは,見たことがあるだけで終えることが無いよう,自分にも社会にも活かさなければと思いました。

事前学習について
今回の合宿にむけて,地域の被害や橋梁について調べ,皆で共有しました。それが非常に重要だと感じました。特に津波の被害は,跡形もなくなっていることもあり,初めて行く場所ではそこに住宅や田畑があったことが信じられません。瓦礫をみても,惨いとしか思えません。しかし,少し調べたり津波の来襲時の様子の動画をみるだけで,全然違うものが見えました。

さいごに
私にとっては,最初で最後となる研究室の夏合宿でした。しかし今回私は,津波の被害を受けた橋梁の調査班として参加しました。なので,合宿の行程に全ては参加できなかったのですが,たくさん学び,たくさん感じ,いろんな思いや考えをもつことができました。そして研究室の皆とも話したり,話を聞いたり,腕相撲をしたりでき,本当に充実した数日間でした。これも合宿の段取りを組んでくれた幹事や先生方のおかげ様です。ありがとうございました。
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修士2年 重野 達雄
今回の夏合宿は,過去2年間の夏合宿以上に「感じる」ことの多い夏合宿であったと思います。
初日に訪れたNEXCO東日本さんの●●橋では,供用中の道路橋の地震被害並びに経年劣化を見学させていただきました。建設中の道路橋の見学は今までにも経験がありましたが,車両がすぐ隣を通る中での現場見学は,まさにそこが現場であり,そこで働く方々の姿を今までの見学以上に感じることができたと思います。また,質疑回答の場では,我々の研究的な視点による質問と,NEXCO東日本さんの実務的な視点による回答を聞き,非常に興味深い時間を過ごすことができました。非常に危険が伴う中,私たち大人数の見学を受け入れていただいたNEXCO東日本の方々には貴重な機会を設けていただき感謝したいと思います。
次に,今回の夏合宿のメインともいうべき,被災地訪問に関して。私は昨夏に両親と三陸を旅行しており,今回の夏合宿で訪問する場所のいくつかをその際に訪れていたため,訪れていた場所では震災前の町並みを知っていたため現在の光景に頭が混乱しそうになるほどでした。昨夏に訪れていない場所も含め,「何もない」のです。現実には何もないということではなく,瓦礫の山であったり廃車が山積みされていたりしているわけですが,心情としては「何もない」でした。また,予習の際に調べた情報が現地にて一致した際に,予習した時点で想像していた様子とは違った光景を目の当たりにし,津波の脅威というものを少しでも現実的に捉えられることができたのかと思います。そんな中,瓦礫の山の隣で土砂の中から咲いていたアサガオの花が生きる力を体現していてとても印象的でした。
今回の夏合宿は,今しか見ることのできない,その点で非常に貴重で価値のある夏合宿であったと感じています。先生方をはじめ,貴重なお言葉の数々をいただいたOBの梅津さん,幹事の鈴木君,鈴木さん,そして今回の夏合宿に関わった全ての方々に感謝したいと思います。
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学部4年 岩本 佳典
今回の合宿で津波の被害を受けた地域を見てまわり、二ユースや事前学習で現地がどのような状況かわかってはいましたが、やはりとてもショックを受けました。
実際に自分の足で見てまわると、被害の大きさがダイレクトに感じられ、私は家が神奈川にあり海からも近いこともあり、もし自分の住んでいる地域が津波に襲われたなら家はただではすまないし、知っている人が大勢命を落とすかもしれないと他人事には思えませんでした。
とくに、2度の大津波を受けて造られた田老の防潮堤が壊れていたのが印象的で土木は人の命を預かっていると強く感じられました。
いろいろと衝撃が大きい3日間だったけど、楽しい合宿を企画していただきとても感謝です。
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学部4年 佐藤 啓介
今回がコンクリート研究室に配属されて初めての合宿で、さらにその初めて東日本大震災という特殊な状況下ということもあり非常に充実した三日間だった。
初日のNEXCOさんの●●橋見学では供用中の橋梁の被害を目の当たりにし、桁が8cm下がってしまったことをどう修繕するのか、またどの程度の被害までなら修繕の必要がないのかといった現場の判断が気になった。
津波による被災地を見学した際、住宅地が跡形も無くなったというよりは初めから荒野だったのではないかと感じた程に悲惨な光景で、実感が全く湧かなかった。しかし、橋脚だけが残って桁が流失してしまった橋梁や三階の窓が割れているビルなどがあると津波の規模とエネルギーの恐ろしさを痛感できた。
田老の防潮堤については事前の下調べを担当していたこともあり、被災前の歴史や今の状況との比較をすることができ、技術者として学べた点があった。
全体を通してせっかく東北の被災地に赴いたのに酷いとかすごいといった一般的な見学者としての視点から感じたことが多く、技術者として吸収し成長できたはずのものが少なかった。来年の今頃は被災地もずいぶん復興しているだろうし、今しか学ぶことができない瞬間を100%自分のものにするような意識で臨みたい。そのためにも事前の下調べや現地での行動を改めていきたい。
また合宿幹事である鈴木貢太さん鈴木洋美さん、企画進行お疲れ様でした。本当にありがとうございます。
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修士1年 鈴木 貢太
今回の夏合宿は幹事として自ら企画したものであった。見学地が被災地ということもあって、今までの合宿とは違い、場所の選定をするにもどこを選んで良いかもわからないし、どのようなルートを通ればいいのかも分からないという状態だった。林さんとも何度も打ち合わせを重ね、何度も衝突し、少しずつ進めていった。なんで幹事なんてやったのだろうと思ったこともあったが、終わってみるとやはり充実感はあった。もう少しうまくマネジメントできたのではないか、などと考えたりもしたが研究室のメンバーが今回の特別な合宿を通して各々が何かを感じてくれれば、それで幹事としてはとても嬉しいことであるとも思う。
夏合宿の中身の感想は、普段見れないものを見れた貴重な経験だったと思う。●●橋の見学もこういう機会がなければ絶対に見ることのできない現場で、NEXCOの方々が日々努力して構造物を管理しているのだなということを感じた。
被災地は実際に訪れてみると、言葉にならない光景であった。ほんとにそこに住宅があったのか、と思わせるような土地が広がっていたり、絶対そこにはないはずのものが普通に道端に転がっていたり。幹事をしていていろいろ調べ物をすることで、様々な地域のバックグラウンドに触れる機会があったので、そういうことを知って実際の現地を見てみると涙が出そうになった。今まで地震は恐いということは思ってても、津波が恐いというのは漠然としたイメージしかなかったが、今回の合宿を通して津波の恐ろしさを肌で感じることができた。
++++++++++(2011/9/22 18時ここまで掲載)
学部4年 錦織 勇人 
 今回の合宿で私が学んだことは「百聞は一見にしかず」ということでありました。 
 誰もが同じことを感じていることはわかっていたので、違うことを書きたかったのですが考えれば考えるほどに「百聞は一見にしかず」という言葉に帰することになってしまいました。
 私の実家は茨城県鹿嶋市にあり、地震の影響で実家も傾き、道の電柱は倒れ、道路は波打ち、場所によっては液状化が発生するなど、私の地元も被災しました。その光景を見ていたし自分の実家も壊れているので横浜にいる間は自分自身が被災者であり、実家に帰省したときに散々地震の爪痕を見ていたので、合宿で被災地を訪れると聞いたときは正直あまり行きたいとは思いませんでした。
自分の認識の中では東北の被災と地元の被災のレベルは遥かに違うと思ってはいましたが、地元が被災していることから多少軽視している部分があったと思います。
 しかし、実際に東北を訪れると半年でずいぶん綺麗になったと言ってもまだまだ手つかずの箇所が多く見受けられ更地に積み上げられた車や防災対策庁舎には強く心を打たれ、今まで自分がどれだけ幸せであったのかを実感しました。
 土木構造物を見て学ぶこともとても重要であると思いますが、今回のように今しか見れなく、被災地という特別な地を訪れ、実際に肌で感じることエンジニアにとって非常に重要であるということを感じました。
来年は私たちの学年が幹事となりますが、先輩方の素晴らしい幹事力に負けないように来年もさらに実りのある合宿にできるように努力したいと思います。
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学部4年 森本 恭史
 今回、東日本大震災が起きた宮城、岩手に訪れた。合宿の前日から観光気分で初めは車で回っていた。しかし、あちらこちらで地震の傷跡が残っていた。繁華街では地震の影響で地面がずれて店が開けないところがあった。また少し山岳部に行けば、多くのところで土砂崩れがあり、橋梁が破壊されているところもありました。それを目の当たりにしたそこにいた人、全員が息を呑んだ瞬間だった。私は、ここで一般的な見学ではないと感じた。とてつもない緊張感が自分の中に現れた。
 次の日、NEXCOさんの●●橋を見学した。大きな橋梁が地震によりボルトが破壊され、ずれていた。あちらこちらでこのような現象があるのだろうと思った。全て修復するのに一体どれくらいの月日、費用がかかるのか、またどれくらいだったら許容できる壊れ方なのか、と思った。
 そして、昼からは次の日にかけて津波による被害を受けた地域を見学した。津波の被害は甚大ではなかった。全てを消してしまっていた。当然のように合った町並みが野原になって、そしてゴミや木材、瓦礫の山が形成されていた。未だに現地は被災していて、人々が戦っている様子はすさまじかった。津波の発生位置も関係していると思うが住む位置により、被害状況がかなり違っていた。田老のみなと橋、堤防が津波により破壊され、津波の影響がどれほどのものかを物語っていた。津波や地震、その他の自然災害は日本に住んでいれば、必ず受けるものである。強いものを造るのが技術者に求められているのではないと改めて実感した。修復、また再生するのに簡単に造れる技術が必要だと感じた。
 今回の被災された方に、心よりご冥福をお祈りします。
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学部4年 高柳 豊
  1日目に行ったNEXCOさんの●●橋では,自分の研究テーマと関係するような劣化が見られ非常に参考になりました.アルカリ骨材反応による橋軸方向のひび割れやコンクリートの剥落などは水の供給により劣化が進んだと説明があったのですが,凍害が関係しているのか分からず勉強不足であることを痛感しました.
 被災地の見学では,テレビや雑誌などのメディアである程度被災地の現状を理解しているつもりでいたのですが実物を前にして自分の認識の甘さを強く感じました.瓦礫の山や倒壊した家屋などを実際に見ることで津波による被害の恐ろしさを感じました.見学地の中で最も印象に残っているのは田老地区の防潮堤で,あんなに大きな防潮堤が壊れその内側の地区でも大きな被害が出ていることを実際に見て大きな衝撃を受けると同時に1日目に感じた津波の恐怖がさらに強く印象付けられました.
 今回の夏合宿で被災地の現状を見たことで,土木の重要性というものを強く感じるとともに自分が勉強していることはどう社会に還元されていくのかということも感じることができたと思います.また,被災地で見た「がんばろう石巻」などといった多くの看板やのぼりから被災地の方々が復興に向け前向きに取り組む姿勢を感じ,たくさんのエネルギーを頂きました.このエネルギーを糧に今まで以上に努力して研究に取り組んでいきたいと思います.
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修士1年 渡辺 優樹
合宿初日の午前は,NEXCO東日本さんの現在供用中の道路橋の現場視察をさせていただいた。橋台支承部の震災状況,桁端部の劣化状況等を視察したのだが,最も印象に残っているのは橋の軸方向に沿って発生しているひび割れおよびそこから析出しているエフロである。NEXCO東日本さんの詳細な分析によりそれはASRによるものと判定されていたのだが,この軸方向にそって生じる現象は,自身のB4のときの研究テーマで携わった現象(凍害の場合)と非常に酷似しており,そこから瞬時にフィードバック出来たことに非常に満足している。初日の午後からは,今回の合宿の目的である被災地見学である。事前予習ということで,幹事の2人,林さんから様々な予習用の資料を用意していただいた。特に幹事の2人にはいろいろ四苦八苦しながら良質な資料・課題を考案していただき非常に感謝している。資料は一通り目を通し,津波の脅威というものを少しでも頭の中で現実的に捉えらるように努力した。林さんから提供していただいた吉村昭さんの「三
陸海岸大津波」では,非常に生々しく,隠れて涙を流しながら読んだ。よく未曾有のだとか想定外の津波と言われているが,この本を読んだ結果、今回の津波は完全に想定できないというのは疑問である。実際に見学した宮古市田老地区を例にとる。田老地区では、「万里の長城」とも称される世界一の防潮堤の上を歩いた。そこで最も驚いたのは,二重ある防潮堤の一重目の内側に建造物が存在していたことである過去の2つの巨大な津波を教訓にして二重の防潮堤にしたにもかかわらず,一重目に家屋が建ってしまったのは、津波を想定できなかったのではなく、時代の流れとともに過去の恐怖が薄れた結果によるものだと思われる。吉村さんの言うように、人知を超える自然のエネルギーを前にすれば、万全という予知・対策はないと思われるが,田老地区に関して言うと,一重目の内側にある建造物は自然災害に対する怠慢とも感じて取れた。三陸海岸の津波の歴史は海に囲まれる日本国民すべてが共有すべき記憶であるが,最もあってはならないことは過去の記憶が時間が経つにつれて薄れていくことであると思われる。ましてや土木技術者は特にである。そういった意味で,自身が土木技術者になる前に今回のように被災直後の今しか見ることの出来ない貴重な体験が出来て本当によかったと思っている。また,事前予習のおかげで実際に被災地を見学するときに,ある程度冷静に,そして津波被害のメカニズムを分析的に見ることが出来た。これもまた,事前に資料・課題を与えてくれた幹事2人の努力のおかげだと思っている。再びありがとう。
++++++++++(2011/9/25 9時ここまで掲載)
D2 Usman Akmal
The Concrete Laboratory of Civil Engineering Department of Yokohama National University, Japan, organizes a summer trip every year. This is always been an informative trip and helps broadening student’s vision regarding civil engineering in many ways.

This year, this trip was organized to visit the Sendai prefecture areas, damaged by the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011. I have only seen the destruction and loss of life on TV news caused by this great earthquake and big tsunami triggered by earthquake. However, when I visited the place during the summer trip, I was surprised after observing the actual scale of destruction caused by this disaster. Whole towns were wiped away by tsunami. We have seen how the infrastructure was damaged by observing the destruction of large bridges, railway networks, electrical poles, roads and even big flood protection walls. In Japan, normally people use wood for construction of houses. However, it was observed that only the buildings or houses, constructed by concrete, could only survive in this tsunami and all buildings, constructed by wood, were washed away. Regarding bridges, in Japan most of the bridges are already retrofitted against the earthquake.  On the other hand they were not designed or retrofitted for big tsunamis like this. So, in most of the bridges it was observed that the deck slabs were blown up and away by the big tsunami. Damages in the piers were also observed.

Being a civil engineer and research student, from this trip, I realized that there are number of big challenges that the whole society of civil engineers have to face, in order to save the precious life of people and important infrastructure in such big disasters.

At the end, I am really thankful for my teachers and organizing members for arranging such a thought provoking trip.
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学部4年 尾関 淳 
 まず地震が起きた311日、私は家の中で揺れを感じた後、NHKから流れる映像に目を奪われ続けていました。その映像はまるで映画のようで、現実のものだとは思えなかったことを覚えています。衝撃的な映像は後日も繰り返し放送され、同時に報道される被害状況の数字は増える一方でした。そのような報道を傾聴していると、自分の学んでいる土木工学の大切さが否応なしに身にしみました。
しかし時間が経つにつれ自分の関心が、地震や津波による直接的被害から、原子力発電所の問題にシフトしてしまっていました。
合宿中の感想を述べる場で、自分とは遠いところで起きているという感覚を覚えてしまったと数人の方々が言っていましたが、それは私も同様でした。そのことからか、いつの間にか、より自分自身に直接影響が出る可能性のある、また現在進行形で進んでいる原発問題の方にばかりが、気がかりになっている自分がいました。

 合宿がはじまり、NEXCOの被害状況や被災地の現状を実際に目の当たりにすると、頭の中では理解していたつもりだったにも関わらず、信じられないと思うようなことばかりでした。また瓦礫の山や落橋してそのままの状態の橋、荒れ果てたままの民家などを見て、原発だけではなくこちらも決して終わった事ではなく、あの日から半年以上継続しいているものなのだという事を、改めて思い知りました。
 また同時に、NEXCOを始めとした建設業界や現地の人々による復旧・復興作業は確実に進んでいるのだという事も実感しました。まだまだ課題は山積みだという事は聞いていましたし実際に感じましたが、スピーディにほとんどの区間で利用可能となった高速道路、ほとんど瓦礫の整理が終わっている地域、新たに架けられていた仮橋など、現状でも被災当初の映像からは想像のつかない復旧状況で、とても感心しました。
 
 私は来年から社会人となり、土木の仕事をしていきますが、今回のような壮絶な現場に足を踏み入れることは、一生に一度あるかないかの経験であると思います。そのような貴重な場で学び・肌で感じた、土木という分野の大切さ・素晴らしさというものを忘れることなく社会に出ていこうと思います。
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修士2年 長沼 光
 最後の夏合宿を終え、私にとって夏合宿は地震について考える合宿であった(B4時は欠席し、M1時は阪神淡路大震災がテーマの一つだったため)。
 私は今回の夏合宿の予習の中で、この地域は何十mの津波が来たということや浸水域は海から何百mということを把握していた。しかし具体的にどういう津波なのかということは頭の中で想像できなかった。実際に壊れた市街地や防波堤、橋があった跡を現地で見学して本当にこの高さまで水が来ていたのかと衝撃を受けた。
 さらにその被害の広さにも衝撃を受けた。調査班として福島県の新地から宮城、岩手まで全域ではないが、沿岸部を北上した。何キロ、何十キロ進んでも津波により被害を受けた町や集落が続いていた。被害の広さから今回の震災の恐ろしさや、どうやって活気を取り戻せばいいのかと考えさせられた。この経験をただ見学に行ったということでなく、今後に生かしたいと私は思っている。今回の合宿で感じたことを忘れずに、具体的にどう生かす生かせるかを考えながら、耐震がテーマである研究や社会人での活動につなげたい。
++++++++++(2011/9/27 14時 ここまで掲載)

2011年9月2日金曜日

遅まきながら同窓会

7月9日に行われた、横浜国立大学コンクリート研の集合写真を掲示します。それ以外は後日。



ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...