2011年11月30日水曜日

クラウド

押し出しファイリング時代から参考にしている野口悠紀雄氏の新刊を購入。前に買った、超超仕事法は、主としてGmailを使った仕事法で、クラウドの将来性にも触れた内容であったが、今回は、その内容がこの2年の間に深化したことが中心になっているように感じた。ということで、自分にとって関係のある部分は、前作と殆ど変化がないように感じた。ちょっと残念。本当に変化がないのか、その後獲得して実践していたから新しく感じなかったのか、どちらかは定かでないが。 ということで、ぱらぱら読みで20分くらいで読み終えた。

スマートフォンは、最近触手がのびているのだが、改めてこれを読んで、そろそろ潮時かと思った。今の携帯の契約が切れる4月には替えるだろうな。

浜崎あゆみ

プレストレストコンクリート技術協会のロゴマークは、浜崎あゆみのマークに似ているのと思うのは私だけか。5年以上前から一人提唱していた。

と思って、改めて左右に並べてみたら、そんなに似ていなかった。





ネクタイピン紛失

習慣で、ネクタイピンをしないと落ち着かないのだが、2つ持っていたネクタイピンを、ここ3か月くらいのうちに、2つとも紛失してしまい、どうしたものかと思っている。いや、「落ち着かない」は不正確で、洗面台で手を洗おうとすると、ネクタイに水がかかりそうになり、実際に支障をきたしている。


2つ連続って。

ちなみに、ネクタイピンを使う人は、平均何個持っているのだろう。

逸品 蛍光ペン

先日の休みにセミナーに参加する際に、蛍光ペンを忘れたのでコンビニで調達。これまで、蛍光ペンには不満を持っていて、あるメーカーのものは、液が浸透しすぎて裏写りするので、そうでないものを見つけてそれを使うようにしていた。コンビニでは、試し書きできないので、賭けだなと思っていると、何と裏写りしない固形インクのマーカーを発見した。

使ってみると、いい!目からうろこである。手元のペンを全部置き換えたいぐらいだ。不満はキャップが収納式でないこと(外国製だからか?日本製なら気が利いているはず。)、口紅のように塗るのでたまたまダマのようになりそれが他の部分を汚してしまうこと。本の場合、厚く塗ってしまって、本を閉じると、その向かいのページにもちょっと着いてしまう。ただし、これらの欠点を上回る使い勝手だ。

今思うと、4月頃かある女子学生が使っていたように思う。その際には、見せてもらっただけで、興味がわかなかったが。

 

2011年11月29日火曜日

良いものは良い 高尾山の事例

良いものは良い、名物は美味い(名物に美味いものは無しの逆)は、その通りと思う。先日、横浜国大コンクリート研のトレッキング同好会(正式名称は、検討中だが、細田先生によると「HCLT会」(Hayashi or Hosoda Concrete Lab Trekking)の第1回トレッキングを開催し、高尾山に登ってきた。

人が多いのは紅葉シーズンだから仕方がないが、いくつもの登山道または石畳(コンクリート)の参道のルートが整備され、ケーブルカーとリフトが運転され、いろいろな人に楽しめる、レジャースポットであった。緑に囲まれ、山頂からは、東京、横浜、相模湾などの展望も楽しめ、非日常を味わえる。

昔から、人ごみが苦手で(これは今では変わらない)、さらに、皆が良いというものを斜に構えるところがあったので、それは最近は大体は克服していると思うが、実は高尾山も大したことないだろうと思っていた。予想を裏切ってくれた。登山対象としては標高が低すぎるというのはあるが、これほど、立地条件や内容がバラエティーに富んでいるとは、魅力的だ。

トレッキング同好会に関しては、今回は、私の娘も含むおチビちゃんも参加したため、ハイキングであったが、このような家族連れイベントと、もっと汗をかける大人だけのイベントを織り交ぜながら、末永く続けていきたい。

次回は、地元神奈川ということで、丹沢が最有力。

日帰りでも、鍋割山、塔の岳など初級者でも楽しめる山はある。丹沢は大学時代は良く登った。子供が生まれてしばらくご無沙汰していたので、これをきっかけに始めたい。丹沢は、山の上だけでなく、周囲を山に囲まれて(一般車が入れない)車道を歩くマニアックなルートもあり、それはそれで面白い。

さて、登山か山岳かトレッキングか、という話題で、高校時代を思い出した。私の出身である「高松高等学校 山岳部」は伝統ある部であるが、学生時分、正式名称の変更は無理としても、新歓のチラシでは、何を前面に押しだそうということになり、ある年には、「トレッキング」とカッコいい?のにしたら、ドヤドヤと人が集まり、半年後にはドヤドヤと去って行ったのを思い出した。

土木分野でも、名前変更の話はもう古くて新しい話になっている。

さて、高松高校に関して言えば、私が在籍した当時は1学年の定員500名くらいであったのが、現在はほぼ半分にまで減っているという。それで、部活の頭数はそのままなので、部員の獲得競争になっているという。何かの産業に似ていて、興味深い。

国土学

先日記事を紹介した「何も言っていないに等しい」の文章の大石氏の著作、「国土学再考」が2年くらい買ったまま積読になっていたのを、読んだ。

国土学というと、堅苦しい話と思っていたら、予想を裏切られた。

諸外国では、紛争や虐殺で大量に人が死んだ歴史を持ち、それを克服することをベースに、物事の考えが立脚している。日本は、逆にそれはなく(原爆で大量に亡くなっているではないかという指摘は、その死者数の順位表を見ると、残念ながら入っていなかった。桁が違っている!)、地震等の災害で死んでいることが特徴である。

原則を曲げない諸外国(曲げないのが原則だから当たり前)と、原則は例外があるものと捉えてその場の雰囲気で丸く収める日本の違いは、全てそれから来ているという指摘は、多少の違和感はあるが、なるほどと受け入れてしまう。

道路整備についても、日欧の比較などよく見るデータがあるが、氏は、もっと踏み込んだ考察を持っており、講義資料としても使えそう。

論調は、曽野綾子を彷彿させて、歯切れが良い。

他にも国土学の著作があるので、読もうと思う。

先の土木学会会長の栢原 英郎氏も、日本人の国土観という本を出しており、既に購入済みで積読になっていたので、国土シリーズで読みたい。

怪しいH

駄文だが、苦笑した話。

某大学で、私から送ったメールがブロックされていることがわかり、仕事に支障が出ていたので、先方に調べていただいていた。

すると、スパムメールのフィルタで、名前 hayashi そのものがキーワードになってはじかれていることがわかった。H ayashi で、H、怪しい というキーワードが引っ掛かったらしい。

それはそうだけれども。

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最後の一文は、小林賢太郎を知らないと面白くないが。

2011年11月22日火曜日

自分の領域

昨日、土木工学教室の全学年交流イベントを開催した。コンクリート研が幹事であったが、M1を中心に企画運営をやってもらった。

中心になった倉田君には敬意を表している。ゼロから作り出すことの難しさはあったが、提案されたプランに彼が素朴な疑問を呈してくれたことが、幹事団の中でもやもやとしていたことに光を当てることになり、いろいろな人に配慮した会にできたのではないかと思っている。

さて、私もいくつかの部分のアテンドはした。教員と研究室、学部生の間を取り持つことが主であったが、ちょっと、いや、だいぶ心残りがある。一番大きいのは、1・3年生の講義と重なっていたのに気付かなかったことと、講義がなかった2年生の集客が悪かったことであろう。

いつも引用するが、失敗学の畑村洋太郎氏も書いているが、成熟した社会(団体)では、個々のメンバーが、干渉を恐れて自分の領域だと思うところが小さくなり、結果として組織として抜けが出る、ということであるが、まさにそのようなことを具現化したように思う。

教室会議では、「月曜の午後は学生は講義がないはずだから、11/21の15時くらいからはどうだろうか」ということが話題になり、その結果のみを聞いた林が幹事団の学生に対して、 その日時を提案されたと伝え、私及び幹事団は、それをあたかも与条件のように考えてしまった。

その後教室会議とのやり取りは続いたが、教室会議側は、たぶん、学生の講義の調整は解決済みだろうと考えていたのではないか。たたき台として提示したので、あとは幹事が調整すべきと。

お互いがお互いを、調べてくれているだろうと考えていたのだろう。ここで、1つの大きな齟齬が生じた。

通常であれば、その齟齬も、複数の視点のチェックが入ることによって誤りが指摘される。今回の場合、掲示や学部生への講義での周知であろう。

悪いことに、1か月以上前からの周知案内文には、「夕刻」しか書いていなかったので、学部生は多分必修の講義は避けた16:10以降だろうと考えたいたものと思われる。幹事団は、ある時期から15時と認識していたものの、具体内容が決まらなかったので、掲示を更新しなかった。決まった直後は、林が出張に出ていてそれを行わず、前週になって具体的な内容を、講義を担当する先生にチラシを配ってもらって周知した。その後、学生からメールがあり、講義と重なったことを知ることとなった。

当日は、自分がとっていた講義がたまたま休講だった学生や、講義が終わってから駆けつけてきてくれた学生が参加してくれたこととなった。


結論としては、
・お互いの領域に踏み込むように行動するように心がけることと、
・それができない(気づかない)ことがあることを考慮して、冗長性のあるように動かすこと、
そのハイブリッドな方法が大切。

2011年11月21日月曜日

フィードバック

たたき台を出して運用して、問題があればフィードバックしてもらい、修正する。柔軟に対応できているところもあれば、必ずしもうまくいっていないものもある。

今日の実験ミーティングの、共通で加筆するファイルの作り方一つにしても、よく考えたら私から、たたき台として出していただけなのだから、そのフィードバックをもらったというだけで、素直に変更したい。ミーティングでは悪あがきをしてしまったのは、至らぬところと、反省したい。もう一つ、提案(というかそこまで考えずに、たたき台を作ったのが本音だが)が1週で修正をされることになったのは、まだ甘かったということで、これも自分を磨きたい。

↓一つ下の記事、写真を掲載しました。

2011年11月16日水曜日

山口出張

JCIのデータベース委員会の全体会議のために、山口県へ1泊出張。

構造物の品質を高めることに特に配慮して実施している現場を見学することも委員会の目的であった。詳細は書けないが、現場のトップが品質向上に徹底的にこだわった結果、そこで働く人が生き生きして、細かいところまで配慮が行き渡っていることがよくわかった。こうありたい、と思う事例であった。では、どうすればそういうマネジメントができるのか。紐解いていきたい。

それに先立ち、小野田セメントの徳利窯も見学させていただいた。工場内の100年前の建築物も重厚で、未だに現役で使われていることに驚いた。ともに、地震が少ない地方だからこそ建物が残っているということであった。不便はあろうが、長く使うことのロマンを感じた。


その日はさらに大移動して、徳山にて懇親会と宿泊。翌日は、人間魚雷「回天」の記念館と発射訓練場を見学した。徳山港からフェリーで40分。のどかな海と、のどかな島であるが、そこで、壮絶なミッションを帯びた訓練が行われ、実際に戦地に旅立っていったことを初めて知った。発射訓練施設では実際のコンクリートの構造物、トンネルが、そのままの形で残されていた。その重みを考えると、言葉も出なかった。

忙しさにかまけて、下調べができなかったが、同行したN先生から回天に関する本を貸していただいた。それに加え、どうしても読みたい本が1冊わかったので、事後になるが、よく勉強したい。

終了後、今度は新幹線に乗って下関へ。4年半前に卒業した、S君が、道路管理者としてそこで働いている現場を訪れるために。同じ県内とはいえ、新幹線で1時間弱、山口県は横に長い。落橋防止、耐震補強の現場であり、事前設計では想定していない事態に対して、いろいろと苦労しながら良いものを作り上げていくことを見させていただいた。施工業者の方とも長時間話をさせていただき、勉強になったとともに、技術者の意地と誇りを感じた。

終了後は、前から訪れたかった関門海峡、別名、馬関海峡を満喫。単なる観光ではなく、回天の下調べができなかった反面、たまたま昔に手に入れていた1冊を含む、関門国道トンネル建設史関連を2冊読んできた。このトンネルは、戦前、戦中、戦後、GHQなど翻弄されながら、破砕帯の難工事を克服して開通にこぎつけるという、ドラマがあった。昨年、全面通行止めして、床版張替えなど行われている(その情報は、技術的なことは事前勉強できず)。そのトンネルを通れたことは素直に嬉しい。すなわち、下関トンネルの歩行者専用通路を、九州から本州へ歩いて海峡を渡った。その後、博物館を訪れたりなど、幕末の下関戦争に思いを馳せながら、バス発車までの時間を過ごす。こんなに狭い海峡にこれだけ頻繁に大型船が通るとは、素直な驚きだ。


時間がなかったので、空港リムジンバスの乗り場がある下関駅までタクシーで向かい、リムジンバスに乗ったら、何と1つめの停留所が、今までいた場所だったのには呆れたが、無事に空港にたどり着く。19時発の飛行機で、天気も良く、日本の夜景を見ながら、日本横断した。久々に夜景に感動。高松、岡山、神戸、大阪、名古屋、皆綺麗な夜景だった。そういえば、往路の飛行機も快晴で、富士山が綺麗だった。


2日目は半分は観光のように聞こえるが、歴史の勉強と、土木工学の勉強ということでご容赦いただきたい。

2011年11月13日日曜日

池田尚治先生の論文集のオンライン化

数年前から懸案事項になっていた、池田尚治先生が執筆した論説文・論文をオンライン化する作業を進めました。

まだ作業中ですが、論説文のほとんどは掲載しました。
http://concrete.cool.coocan.jp/ikeda/


なお、これらは、2002年に発行した冊子を基にしているので、その後の最近10年間についても、時間を見つけて作業を行います。

2011年11月12日土曜日

10000日

27歳4ヶ月と数日は、人生の記念すべき日、というのは、私が個人的に提唱しているものです。すなわち、生まれて10000日目です。対数(累乗)で考えると、10の4乗日。10の5乗日(270歳)を生きる人間は世の中にだれもいないことから、ある意味、工学的には人生の最終コーナーに差し掛かったともいえます。

お食い初めが100日目、1000日はほぼ3年で強引だけど七五三。累乗でキリが良い数字でお祝いするのは、珍しいことではありません(強引)。

自分の時は、自分でひっそりと祝ったような気がします。正確には、祝ったよりも、頑張らねばと決意を新たにした日だったように思います。その後、20代後半の人を見ると、そろそろかも、と思う習性がつきました。ただし、義理の妹にその旨メールしたら、一笑に付されましたが。

成人式の20歳は学生まっただ中で、なかなか社会人という気分は ないですが、27歳は、一般に就職してしばらく経ち、いろいろな問題にぶち当たってくる時期で、本当の意味での大人、社会人になる時期として、適当かなと思っています。

今日、6日前だけど、研究室の博士学生が10000日を迎えるので、ゼミの場で紹介しました。

ちなみに、日数の計算ができるのは、エクセルのおかげですね。


蛇足:私は個人の誕生日を覚えるのが苦手というか、あまり頭にありません。よくヒンシュクを買いますが。ハッピーマンデーが通用する(古来の日付が無視される)世の中だから、誕生日も週さえ合っていればよいかな、くらいです。半分冗談ですが。 この発想は、結婚する前の付き合っている時の妻の誕生日をすっかり忘れていて、午後になって「あっ」と思いだし、慌ててフォローしながら思ったことです。(妻もこのブログの読者)

やり方の間違い

かなりのショックだったが、今年も技術士を落ちた。昨年同様、専門問題はA判定で、一般問題がBだった。それに続き、いろいろとダメなことも続いた。春に出していた民間の研究助成金の応募も、落選。先月受けた、労働安全コンサルタントも、法令問題で躓いた。

いろいろと続くと、やっぱり、何かが足りないことをが明らかであるのが目の前に突き付けられてきて、ボディーブローのように。本質的な点として、求められている内容に応えられていないのだろう。

助成金に関しては、応募が秋に集中しているので、連日の締切であったが、他人に添削戴いたりで、やっと本質がわかってきたような気がする。数年前は、体裁のコツを体得し、科研も採択されるようになっていたが、今の段階では、体裁だけでなく内容も、脱皮が求められていたであろう。そういう観点から見ると、半年前の自分も、至らないところが良く見えてきた。この秋に応募したのが、半年後どう化けるか・・・。

で、試験勉強の件を考えると、モノの本では、受かることだけを考えよ、というアドバイスが多くある。順序立てて勉強することは、長い目で見てプラスかもしれないが、まずは受かってナンボの世界。よって、受かるためには、手段を選ばないことが必要である。そのことが徹底できていなかった、ことに改めて気づいた。自分の事として認識した。

技術士試験は、もちろん、そういう講座を受けなくても受かる人は受かる試験と思う。でも、きれいごとは言ってられない。出費は多少はあるが、きちんと添削を受ける、そのことによって、自分が天狗になっていた部分も鍛え直されるだろう。きちんと情報収集をすることも、鍛え直されるだろう。そういうプラスのスパイラルも得られると思う。自分が弱い部分の自己流勉強ほど怖いものはない。1年間、改善がなかったことが実証されたのだから。


と、先日過去の資料を見ていたら、4年前の技術士受験は、一般がAで専門がCだった時があった。すっかり忘れていた。その時の答案メモを見ると、社会資本整備の一般問題は、結構アグレッシブに書いていた。今は、参考書などのアドバイスに倣って(1回だけセミナー参加)、保守的になっていた。それもあるのかな。ちょっと希望が見えてきた。

労働安全コンサルタントの話も、今まで気づかなかったあるサイトの模範解答から自己採点すると、ぎりぎり合格に達しているかもという得点になった(今年は難しいという評判から、総合得点のボーダーが下がればの話。昨年足切になった法令問題が、足切りぎりぎりセーフになった。)。これも希望が。こちらの審判は12月下旬。

コンクリートの歌

2週間以上前になるが、JABEE中間審査後の教員懇親会の2次会で、カラオケに行った。私はかなり久しぶりで、副学長、専攻長を含む異色の6人(正確には、私も含めておっさん)でカラオケボックスに。至って普通に進行。最後の方で、ふと曲名検索で「コンクリート」を探したら、複数出てきてノリで片っ端から登録。誰も知らない歌ばかりであったが、H田先生は、即興替え歌詞で「(コンクリートの)養生最高!」などノリノリで歌っていた。それに触発され、その場の雰囲気でコンクリートの歌が必要だ、ということになった。さらに、世の中をよくするために政治の世界への進出も大事で、「コンクリー党」、「土木党(私には土木棟に聞こえる)」を作らねば、ということになって散会。久しぶりに弾けた夜だった。

ご存知?の通り、映画「コンクリート」は最悪であるが、今日の新聞でも、コンクリート詰め云々という事件は出てきている。

ブログ再開は、いつも変なネタだ。

11/22(水)午後 コンクリートの品質確保 甲子園決勝 in 高松

しばらく、トップ記事に固定します。 気分は日本シリーズ、甲子園決勝、の気概で計画しています。 以下および添付資料の通り、コンクリートの品質確保に関する報告会及びシンポジウムを開催することとなりました。材料-施工の取組みで華々しさはありませんが、i-Construct...