2012年8月11日土曜日

戦争

昨日、東北調査から帰ってきた。委員会に関係する調査・打合せであり、津波で被災を受けた鉄筋コンクリート橋梁の復元設計をすることも一つのミッションで、私は実質的に初めて配筋調査を行った。現地はがれきの分別、片づけが淡々と行われているが、復興は全く進んでいないように見えた。今日は、大学で残務処理をして、明日の早朝から、家族の夏休みに合流する。

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さて、戦争のことを語ると、なぜか日本では思想が云々、という雰囲気になってしまうが、とにかく私の中での最近ホットな話題は太平洋戦争である。小学校5年から中1までの3年間、長崎に住んで、原爆教育を受けたことも影響している。7月の学会で広島を訪れた際も、10年ぶりぐらいに平和祈念館に行ったが、その間に、結婚して子供を持ったこと、東日本大震災が起きたこと、が、感性を何倍にも大きくしてくれて、涙が止まらなかった。



最近はまっている本が、「猪瀬直樹」の著作である。道路公団民営化、関連で、土木技術者の中では、その印象が強く、拒否反応を持たれている方も多いようであるが。

氏の戦争三部作である、「昭和16年の敗戦」、「黒船の世紀 -あのころ、アメリカは仮想敵国だった」、「東条英機処刑の日」を続けて読んだ。日本が太平洋戦争を起こしてから、終結するに至るまで、どのような意思決定がなされ(また、なされず)たのかについて、私が全く知らなかった視点で語りかけてくる。


戦争を開始する前、30歳半ばの若手エリートが集められた「総力戦研究所」で、各省庁の詳細なデータを根拠に、既に戦争が負けることが詳細にシミュレーションされていた。山本五十六が真珠湾攻撃を決めるずっと前から、日米においてそれぞれの専門家による、日米未来戦記の小説が発表されて、国民が熱中して読んでいた。

他に、私にとって衝撃の事実として、
-A級戦犯が起訴された日:4月29日 昭和天皇の誕生日
-東京裁判の開始:5月3日 憲法記念日
-A級戦犯で有罪の7名の絞首刑が執行された日:12月23日午前0時1分 今上天皇(平成)の誕生日

という、戦争責任を将来に渡り日本人に刻み付けた、アメリカの戦略も。


東条英機ら7名の絞首刑後の遺体は、GHQにより、彼らが偶像化されないように、秘密裏に処理されたが、火葬が行われたのが横浜の久保山火葬場であった。現在名「久保山霊園」は、何と、私の自宅から数百メートルのところで、私は毎日の車通勤で目の前を通っていた。当時、日本の遺族側が何とか情報を入手して、隣の興禅寺の住職らの協力を得て、GHQに隠れて遺骨の一部を救出したドラマがあった。

たまたま今朝時間が取れたので、初めて久保山霊園と興禅寺を訪れた。霊園には場違いな服装で行ってしまったので、外見を見ただけで早々に退出したが、興禅寺では、当時の住職によるその救出のとが記された記念碑が建立されていたのを見つけた。


先人があって、今の私がいる。まずは、日本を良く知ること、それに尽きる。

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