2012年10月25日木曜日

ふたたび長崎へ

私の故郷の一つは長崎市である。小学校5年、6年、中学校1年の3年間、過ごした。長崎といえば、異国情緒あふれる街と原爆を投下された街、というイメージであるが、実際に過ごした3年間はまさにその通りに感じていた(その後20年で、イメージが作られている可能性もあるが)。8月9日は、夏休みの全校登校日であり、原爆教育が行われて、それが当たり前だと思っていた。地元のお祭りなどに見られるように、中国とオランダの影響を受け、生活に密着していたように思う。

しかし、まだ世間を知らない年頃であったためか、長崎の本当の価値に気づかないまま引越ししてしまったように思う。当時はまだ、歴史、特に幕末の知識はほとんどなかった。特に、シーボルト、お滝、については同名の長崎名菓のCM等で毎日毎日耳にしていたのに、実際に何者なのか、知らないまま、今に至っていた。医療を教えてくれた親切な外国人、という程度であった。


8月の長崎への研究室夏合宿に行くに当たり、幕末の長崎をきちんと知りたくて読んだ本は、吉村昭の「ふぉんしいふぉるとの娘」であった。文庫本であるが、上下巻で1000頁は読みごたえがあった。まず、長崎の出島の開港とはどういうもので、華やかなイメージとは裏腹に、そこに暮らす外国人は孤独に苛まれながら、悶々と過ごすという描写に衝撃を受けた。その中で、シーボルトは、一言でいえば、日本のスパイであったことは、目からうろこであった。シーボルト(ドイツ人で、国籍を詐称している)およびオランダは、当時の世界の謎であった日本研究のメッカであり、彼が優秀な日本人(高野長英、他)に、オランダ語や医療の指導のためと称して、オランダ語で書かせた日本レポート(テーマは日本の医療事情に限らず、インフラ、社会制度、などありとありとあらゆるジャンル)が、そっくりそのまま幕府の目をふれずに、オランダに送られて日本研究の資料になっていたとは!!!結局そこで研究されつくして、諸外国に日本の攻略法が伝わった結果、あの当時、諸外国が押しかけて日本の開国につながっている。全部理由があったのだ。

私が読んだ日本における彼の伝記やその他の記述は、親切心から誤って贈られた日本地図が見つかって日本追放になってしまった可哀そうな人とあるが、実際は正反対でシーボルトが周囲の反対も押し切りながら血眼になって地図の入手に手を尽くし、最終的に幕府にバレて、関わった数多くの日本人が処刑、処分されたことは、なぜ伏せられているのだろうか。詳細はともかく、吉村昭の詳細な記述のおかげで、長崎の本質がわかった気がする。蛍茶屋や日見峠が、当時の長崎の入り口になっていたことも、合宿中に何度かバスでそこを通る度に、当時の思いを馳せることができた。今回の長崎の夏合宿では、シーボルトの住んだ「鳴滝」を訪れる時間がなかったのが残念であった。

合宿は、諫早湾干拓事業、雲仙普賢岳見学を終え、合宿のメインであった軍艦島の上陸は、悪天候で叶わなかったが、上陸しない周遊クルージングにおいて、長崎港の詳細な解説があった。長崎がいかに三菱重工に依存しているのか知り、岩崎弥太郎の時代からの長い歴史について知りたい欲求が高まった。

そんな中、津波の橋梁へ及ぼす波力に関する研究に携わらせていただいている関係で、今度10月29日に長崎の三菱重工で行われる津波の模型実験を見学させていただく機会を得た。さらに、翌日には女神大橋の見学もオプションで行っていただけるとのこと。参加することにした。

そこで今回の事前予習として自分に課したのは、まずは、三菱重工で建造された世界最大の戦艦「武蔵」の建造を描いた吉村昭「戦艦武蔵」であった。広島呉で作られた戦艦大和はあまりにも有名であるが、全くの同じ寸法の2号機が戦艦武蔵である(と今回知った)。呉では、軍事工場での建設なので、1号機という困難はあったが比較的無事に建設が行われるが、長崎では民間の工場なのに秘密を守る必要があった。高熱隧道に見られるあの重苦しい戦時中の描写から始まり、最高軍事機密の巨大な船が秘密裏に作られるさまは、息が詰まる。作業員は、秘密漏えい防止のために、自分が作る部分の図面しか与えられないので、いったいどれだけ大きな船を作っているのすら想像できなかったという。あの狭い長崎港で、グラバー邸からも見下ろせるあの場所で、市民に誰にも見られずに、1000人を超える民間作業員から情報が洩れずに世界最大の巨艦を作るのは、想像を絶する。詳細は、読んでのお楽しみであるが、ここでは一つ。進水の際、巨大な鉄の塊が押しのける水で、長崎港内に1mの津波が起きたという。

せっかく長崎に行く機会を得たので、観光なんかではない、前から行きたかった、これも三菱重工の資料館を訪れることにした。失敗学で有名な畑村洋太郎氏が、人類が経験した貴重な失敗である、タービン事故でのタービンの実物展示がなされているので有名な資料館である。それ以外にも、岩崎弥太郎からの歴史が凝縮されているらしい。楽しみだ。

2012年10月24日水曜日

概念

最近はまっている猪瀬直樹のツイッターでの有名なフレーズは、「睡眠の貯金はできないが、借金は返すことができる」。

食いだめ同様に、寝だめはできない。できないことだけ見ると、特に学生時代に焼肉食べ放題に行った後などは、何と残念に思えたことか。しかし、たまった睡眠不足、疲れは、ある程度寝ることで回復できる。これまでに足りない睡眠時間の合計だけ全部眠らなければならないわけではない。借金なら、借りたものをすべてに加え、利子も必要となる。睡眠のこの概念は、当たり前だが、面白い。

工学系の研究者、教育者として思うことは、世の中にあるいろいろな概念(考え方、法則)等を適切に使うことができることが、良い研究につながるし、研究だけでなく人生を謳歌することにつながると思っている。

これは、私のコンクリート研の同期のI端も同じ考えのようで、大学院時代はよく議論していた。

例を挙げると、「平衡」という概念は、確か高校の化学で習ったものの、いろいろなところに応用できる。最近では、福岡伸一先生の動的平衡の本などでも紹介されいるが、常に動き続けているものが、あたかも止まって存在しているように見えること、である。(準備不足でうまい例をあがられないが)そのような考え方を獲得すると、あまい細かいことにこだわらないでも、結果オーライであれば、別にいいじゃないか、ということも思えてくる(要推敲)。


西堀栄三郎の技士道や、畑村洋太郎の失敗学、のような観点を取り込んだ、私が実践してきた技術者論、発明法、について、数年かけてトピックを挙げていき、末には本を書きたいと本気で思っている。

東名高速道路の調査

まず、NEXCOさんから、調査対象構造物の名前は出してよいという許可をいただいているので、その旨を書いておく。勝手に暴露するものではない。

昨日、我々の開発した表面吸水試験を用いて、東名高速道路の橋梁部の主桁の調査を行った。経年50年の実構造物を調査できるというのは、願ってもないチャンスであり、ここ数日は果たしてうまくいくか不安であった。というのは、我々の手法は、壁面、水平面上面に適用できると既に発表しているが、今回は適用部材外を測定することが必要であり、それをどうするかが問題であった。

それについては、実際には以前からの腹案があったので、調査実施を決断したのだが、時間がとれずに実際に開発に取り掛かったのは2日前であり、手持ちの部品を組み合わせて何とかプロトタイプを作ることができた。今回は、我々の得意とする手法の適用と同時に、プロトタイプをいきなり実構造物にトライする、という2つのミッションがあった。話せば長くなるが、いろいろとトラブルはあったものの概ね想定内で、満足する結果を得た。

学内にいると、なかなか実務上でのニーズをつかむことは難しく、実務者とのディスカッションによって実際の問題や、そのヒントを得る。あったらいいなと思っていた段階では、研究者の自己満足かなとも思っていて開発のモチベーションが得られなかったのだが、たまたま(というよりも、引き出す努力を続けた結果)、かなり強いニーズがあることが得られ、今回の開発につながった。


反省点はいくつかある。開発者として乗り込んだが、自分のことで手いっぱいのところがあり、同行した留学生を含む学生4人に対しては、今回の意義や、現場のことを適切に解説できただろうか。できる範囲では行ったつもりだが、まだまだ改善が必要と思う。私自身、この10年以上、現場でいろいろな話を聞き、周囲の方々に育てていただいた。現場調査で学生を帯同する際には、その恩返しを学生に対して行わなければならない。

大学生は、作業者ではない。現場調査(見学でない)の数については、日本でも多い部類の研究をしているが、現状では参加希望学生が手を上げすぎて困る、という状況になっていない。それは、やはりPRも足りないし、得られる(と学生が思っている)ものも天秤にかけてのことかもしれない。



さて、構造物の名前がどうこうというのは、私にとってはあまり重要ではない(有名であれば、それは何だかうれしいが)。しかし、私の研究活動を陰で支えてくれている、家族にとっては、実感がわく知名度が高い構造物を調査することは、非常にわかりやすい。表面吸水試験装置という名前は覚えてくれたが、それが何に役立つのかはまではよくわかってもらえない。でも、東名高速道路の調査をしたよ、というのは、家族にとってはとても分かりやすいシンボルである。


2012年10月8日月曜日

予防保全と事後対応

我が家の愛車は、新車から数えて8ヶ月である。無料6ヶ月点検を、昨日遅ればせながら実施したところ、ボンネットの塗装コーティングが割れているとの報告が。鉄板の腐食が始まるよりも、まだまだ前の段階であるが、表層にダメージを受けた状態であった。ガラス質のようなものが、直径2cmぐらいはがれている箇所が、3ヶ所ほど。

サービスマンに聞くと、付着した樹液が、太陽の熱を受けるとさらに熱を持ち(化学的なアタックは説明なし)、コーティングを破るという。土木工学棟の駐車場で樹液を受け、家に持ち帰り炎天下で促進養生が行われるというメカニズムであった。

購入前に、5万円プラスアルファで、ボディのコーティング(製造時しかプラスできない特殊処理)を勧められたが、色が汚くなっても構わない、と断っていたのだが、今回、もし直すとしたらボンネットを外して再塗装ということで5万円かかるという。予防保全は初期費用が高くても、トータルのライフサイクルコストは抑えられる、という、社会インフラの維持管理と同じことが、私の車でも起こっている。

とはいえ、桜の木の下に位置する土木棟の駐車場に停めることはしばらく続くし(車通勤をやめる予定は、先延ばしにしている)、そもそも、私の車に対する評価基準は、色や綺麗さは今回は重視せず、少なくとも10年、できれば15年は燃費ともども、走行性能は犠牲にせずに持ってくれることである。中古で売ることは現時点では考えていない。ボンネットに穴が開いて、結果としてエンジンに負担がかかるという最悪の事態を避けられれば、特に、気にしないという初期の思いを改めて思い出した。

先日、福島の日本大学の岩城先生が主催した橋梁の維持管理シンポジウムに参加したが、ある講演では、通常の橋梁は維持管理をして延命させるのが、15m未満の小規模橋梁は使い倒して架け替えたほうがトータルとして良いという話もあった。車に何を求めるか、方針がぶれてしまっては、結局、いろいろとお金を払ってしまうことになるので、気を付けなければ。

思えば遠くへ来たもんだ

香川県コンクリート診断士会は、年会費を集めていないが故に日本コンクリート診断士会に分担金(そのお金の正式名称は不明)を払わないため、当該ホームページには掲載されていないが、きちんと設立した団体である。 昨年11月に現在の形で正式発足して、ほぼ1年が経過するが、今回の定例会参加...