2013年1月23日水曜日

ドロン

いやー長かった。

昨年2月25日に土木学会論文集(ドロン)に投稿した論文について、査読を経て、先週、登載可との連絡を受け、最後のコメントの対応をして先ほど投稿完了した。後は事務的な校正を経て、月1回のタイミングでオンラインジャーナルに掲載されるはずだ。

この夏、1回目の査読では、70個以上の修正コメントが来て余りの量に驚いた。査読修正16週間の最終週に修正が完了して投稿し、その結果、幸いにも1回でパスできた。査読結果が届いてから7、8月の2ヶ月を無駄に浪費してしまったのは、日々の忙しさに甘えていたというしかない。その時期が博士3年のウスマンの博士論文の追い込み時期と重なり、その成果も得て議論を深めることもできたため、結果として査読対応もほぼ完ぺきになったのだと思う。

表面吸水試験に関してのこれまでの集大成ということで、この論文を書いたのだが、結果として、転職の時期と重なることになったが、転職までに横浜国大の名前で掲載(少なくとも掲載決定)はできそうで、安心している。

これからどれだけジャーナルを書けるのか、書こうとするのか、についてはどうなるか怖いが、目標に掲げてしがみついていきたい。今度は、新しい所属で。

好奇心

昨日学内で、レントゲン車のような見知らぬ車が停まっていた。再度通った際に、車の後ろから、何かアームのようなものを伸ばして、何かを計測しているようだ。一瞬、Googleストリートビューかと思ったが、違う。用事があったので、そのまま通り過ぎた。

夜、帰宅途中、再度その車にすれ違った。気になる。これは、もう聞くしかない、と思い、自分の車を停めて、話を聞きに行った。担当の方は丁寧に説明してくれて、横浜国大の学内の車道のアスファルトとに発生している多数のひび割れについて、その原因を探るために地盤内部の劣化状況を計測しているとのこと。計測時には、車内にある錘を地面に落下させて、同時に、後ろから伸びている複数のセンサーを地面に直接当てて、そのインパクトの伝達を計測するものだという。

多分、地盤や道路について専門にしている人であれば、普通の技術なのだろう。詳細はわからないが、そういう機能を持った車があるということは認識した。錘の重さを変えて、コンクリート構造物にも適用することがあるとおっしゃっていたので、そういう意味では、私の勉強不足も露呈した。

何かわからないけれども直感で、これ何?、これ知りたい、と思う事が、生活していてたまにある。そのような時、私は行動に移すことが多い。先日も、空き地でボーリングしているような作業員の方に聞いたら、それが、N値の試験であった。教科書と、実際のことが一致した。

ああそうですか、で終わることもあるけれども、こうやって自分からアクションを起こして聞いたことは、結構鮮明に記憶に残る。実験や現場測定で役に立つことも、結構ある。

たまたま昨日、出張中に細田先生が読み終わった羽生さんの直観力を戴いて読み終わったが、多少似たようなことも書かれていた。結局は普段の過ごし方、にある、と私は感じた。

研究室においても、自分の研究テーマは狭いのだから、土木技術者の卵として、研究室内で行われている他の実験やイベントには興味を持つように、と私は言っている。少なくとも私は学生時代から今までそうやってきた。私の体の半分は、このような好奇心でできている。

これまた昨日読み終わったのだが、畑村洋太郎氏が委員長を務めた、福島第一原発政府事故調査委員会の報告書は1000ページにもなる大作なので、時間と労力がないと読めないのだが、本人らによる、解説資料が発刊されていて、読んだ。国会事故調より後に出ていることもあり、国会事故調のここは間違いだ、ということも書かれている。(何が間違いなのかは、後出しの方がよく見えるので、精査は必要であるが)

原発事故自体の本質については、きちんと報道されていたが私がキャッチできていないだけなのか、そもそも正確に報道されていないのか、何とも言えない。確かに言えるのは、私はこの本を読むまでは詳細を説明できない状態であった。

この本によると、直接の原因が全電源喪失というのは間違いで、実際にはその電源を使うための「配電盤のほぼ全数が浸水して使えなくなった」というのが直接の本質だった、という。この本は、放射能被害や、その後の原発のあり方、等については一切触れていない技術資料で、今のトレンドではないが、後半の畑村さんの失敗学的観点も含め、とても勉強にある。読んでいても、日々の生活、研究とくに実験、ということに対して、数多くの示唆をもらった本である。

この本は、多少荒削りなところもあって、略号が初出時に説明が無かったり、電気回路の知識がないと理解できない所も多数あるので、万人向けではないものの、淡々と事実を記載しているところと、著者らの考え、解説もちりばめられており、読んでいてすっきりする。




追記。
先日紹介された、小林よしのりの、脱原発論がそろそろ届くので読む。今は事故調査委員会だけに焦点を当てていたが、ざっと調べてみると、複数の事故調査委員会報告書を串刺しに検証した本が多数出ているようなので、複数読んでみたい。1つだけの委員会の主張を聞くのも、バランスが取れていない気がしてきたので。

2013年1月16日水曜日

葬儀

新年明けての書き込みが、葬儀ということは気が引けるが、1日半、仕事を抜けさせていただいたことで、立ち止まって考えるきっかけになったということでご容赦を。


妻の祖母が93歳で亡くなり、昨日が通夜、本日は葬儀と続いた。一昨日の大雪の影響はほとんど見られずに無事滞りなく行われた。

祖母には、結婚前後に私は2度ほど妻と一緒に会いに行ったきりで、あまり接点はなかった。しかし、妻が小さいころからお世話になり、彼女の支えになってきたことはずっと聞いており、大往生とはいえ、家族を失う悲しみは何事にも代えがたい。

私は父方の祖母を亡くして約10年で、親族として火葬までお見送りするのは10年ぶりの経験となる。今回は喪主でもなく、儀式を行うという意味の当事者意識はそれほど高くはなかったものの、一通りの儀式をきちんと行う意味を、この年になって改めて認識した。もちろん、宗派、しきたりなど、個別の意味を理解はしていないが、先祖代々綿々と受け継がれてきたことを、継承していくことの重要さを、ひしひしと感じた。いつかは、自分が当事者となる機会はあるはずで、 そのための経験と言っては失礼かもしれないが、そういうことも感じながら、朝から夜まで続いた儀式を見ていた。

火葬場では、分刻みのスケジュールでシステマティックに執り行われていることは、新鮮な驚きであった。千葉県という都市部では、実際にこのようにしないとマネジメントできないであろう。それにもかかわらず、特に事務的に捌かれるというような不快感もなく、プロとしての風格を感じた。


結果として、横浜を去るのにあと2か月を切ったところで、たまたまこういう機会で親戚全員と会えたことは、何かの縁を感じた。

昨日は夕方以降休み、今日も終日休み、職場には不便をおかけした。いつ抜けてもよいように普段から動いておくことの重要さも、改めて感じる。昨日たまたま、1週間前に職場でお世話になっていた方が急逝されたとの報に接した。個人のご冥福をお祈りするとともに、自分の仕事のしかたについても、改めて考えてしまう。特定の個人に過度に依存しない仕事の仕方、というのは、長く細く考えていくべきテーマである。

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...