2013年3月29日金曜日

日々の問題解決シリーズ リモコンが動作しない

建設環境工学科棟は数年前に改修していただいたおかげで、部屋も綺麗でレイアウトも気に入っている。2つの研究室が真ん中でつながっていて、仕切りはあるが、声も聞こえて人の行き来もできる。適度な交流が可能である。

1つの研究室内には、学生の入れるスペースと、さらに中に教員個人のブースがありこちらには完全に鍵がかかるようになっていて、特に成績管理などのセキュリティも万全である。よく考えられているといつも感心している。

大きな問題ではないが、1つストレスを感じることがある。その教員個人用ブースに入っているエアコンは家庭用の小型のものなので、手持ち式の小型リモコンで操作する。なお、業務用エアコンであれば、有線のパネル式リモコンである。

このリモコンは通常はフックで壁に掛けてあるのだが、その位置では、方向が悪いのでエアコンが反応しない。毎回リモコンを手に持って、エアコン本体に向かってボタンを押さなければならない。

部屋を出入りするたびに、入り切りするのが、結構面倒であり、この1か月ずっと解消したかった。


現状を説明すると下図において、右下の方カレンダー付近の壁にかかっているのがリモコンで、左上の白いものがエアコンである。この位置関係では、リモコンは反応しない。




下図のように、手に持って動かさなければならない。


これを解消するために30秒で考えたことは、以下の通り。

(電波、という用語が正しくないことは分かるが、他によい用語が見つからないので、便宜上このままでいく)

・リモコンの電波が本体に届かないことが問題である。
・リモコンの電波が本体に届くことが解決策となる。

もちろん、エアコンが作動すること、という上位概念であれば、エアコンを買い替えるとか、さらにいうと、体温を快適に保つという上位概念に進めば、そういうウェアを着る、エアコンを必要としない体に鍛えあげる、なども問題解決策としてありうるが、今回はあくまでも、今のエアコンを作動することだけを考える。

絶対にできそうなのが、リモコンと本体を光ファイバーで結ぶこと。これはほぼ100パーセント実現可能だが、手間と金がかかるので、後にとっておく。

次に、リモコンの向きを変えてリモコンを固定することが思い浮かぶ。しかし、エアコンと壁はちょうど向かい合っていて、垂直な壁は無い(垂直な壁が、引き戸になっている) ので、角度をつけることは結構難しいことがわかる。

では、リモコンの電波を曲げることができればよいのではないか、と発想を変える。鏡のようなイメージで反射させればよいのではないか。まず持ってきたのが、ブックエンド。すると、ブックエンドの角度を変えても反応なし。よく考えたら、反射率の関係から、鉄自体が電波を吸収してしまうのだろう。

では、鉄以外の、紙を持ってきて斜めにしたところ、見事リモコンは反応した。解決の方法が見つかれば、後は早い。

下図のように、使い古しの厚紙を切って、加工。




このように、厚紙を折って壁に貼ることで、無事、原位置においてリモコンが常時作動することになった。解決。


実は、もう一つ、案はあった。くしゃくしゃにした紙のようなものを、リモコンの近くに置けば、乱反射されて電波がいろいろなところに飛ぶのではないか、と思った。今回は、試す前に解決したので、実行には移していない。

家の新しいテレビボードにおさめたビデオは、リモコンの受光部を塞いでしまうような意匠になっているので、リモコンの認識が悪い。今度はこちらの手法で解決できないか、考えているところである。

日々、これ研究なり。 なんと創造的なことか。

2013年3月28日木曜日

わらしべ長者

ある先生から、綺麗なロッカーが余ったからいりませんか?と連絡。いそいそと見に行くと、今使っているものよりも、幅が1.5倍くらいの綺麗なロッカーであり、戴くことに決定。すぐに搬入いただいた。

そのついでに、別の部屋でコンクリート関係の古い論文集があって、捨てるべきかどうか相談されたので、これは私の視点から不要と判断。その理由を聞くと、この書架を撤去して実験用の棚を購入するという。

私の居室は、横浜から運んできた書籍のために既に結構な量になっていて、棚が不足していたので、まさに渡りに船。さっそく戴くことを約束した。代わりに、私の居室にあった、使い勝手の悪い引き出しは、場所を空けるために早々に廃棄することになった。

こうやって、色々と声をかけていただけるのは嬉しい。

今はお世話になりっぱなしであるが、片付けはほどほどにして、新学期に向けての講義準備を着々と進めることが私の今の職務で、専念したい。恩返しは、成果を出すこと。

2013年3月27日水曜日

山岳部の心

今朝は早起きして、6時ごろに出身の高松高校を訪問した。今日明日の1泊で、高松高校山岳部の春山合宿が行われるため、その出発の見送りのために。


今回は、卒業する3名を含める生徒5名と顧問2名の登山であった。私は、小一時間、後輩が準備するのを横目に見つつ、朝の校舎の散歩をしていた。校舎建替え直後の新校舎で過ごしてきた私にとっては、建物の状態は当時とほとんど変わっておらず、一気に18年前にタイムスリップしたみたいだ。

合宿のOBの差し入れと言えば、スイカ、ミカン缶など、悪乗りして重たいもの、かさばる物、という伝統があったが、さすがに現役生とはそこまでのコミュニケーションが取れておらず、今回初めて顔を合わせるので、控えめに、電車で食べられるものにしておいた。

出発前はドタバタするので、話しかけるのも悪いと思って、現役生とはほとんど会話をしないまま、別れてしまった。もうちょっと存在感をアピールしておけばよかったなと思いつつも、最後に3年生から、道具の使い方を指導してあげてくださいと言われたのは、嬉しかった。

私が現役の時は・・・・、という話をしだしたら聞いてもらえないが、なぜ、これが必要かということで、背中で見せたいと思う。って、いつやるんだろう。

3分クッキングならぬ、3分パッキングというのがあって、とにかく時間に厳しかったなぁと思いながら、考えてみた。

以下、現役生の話とは関係ない。(できないことの指摘、ではありません)
パッキングを短時間でやることは、直接的な効用としては時間を確保、がある。しかし、他の意味もたくさんあるだろう。そもそもパッキングに時間がかかるのは論理的に整理されていないことの表れであり、時間をかけて詰め込こむというのは、頭の中で構造的に整理されていない現れといえる。軽くてかさばる物はザックの下、重いものは、ザックの上の方でできるだけ手前。体を回転させたときの慣性モーメントを小さくするためである。これが頭にあれば、何をどうやって入れるか、と計画を立てると、後はそれにしたがって順番に詰める。

話がそれたので、戻る。


人と人のつながりを持つ、ことを、山岳部の現役生および、これからの人生を過ごすOBに伝えたい。山岳部の関東支部で活動していた私としては、最近若いOBとのつながりがなかったことが懸案事項であった。口で、来いと言っても、なかなか難しい。世間一般によいと思われることでも、実践できないことは多い。そういうものであっても、ふとしたきっかけでたまたま参加することで、その良さを身に染みてわかって、それ以後参加するようになることが、特に同窓会関係では多い。年齢がそうさせることもあるだろうが、とにかく若い時期の初めは、強制的に連れて来るぐらいがちょうどよい、と思っている。でも、その場(関東支部)にいない私には何ができるのか。

良いものを伝えるにはどうするか。生のコミュニケーションをとって信頼関係を作らないと、人はなかなか動けない。そのためには、汗をかくことも大事だ。体で見せる。以前から、OBとして何ができるか、何をすべきかということを考えていた。2週間ほど前、この春山合宿の存在を知ったものの、いつ出発か分からなかったので、空き時間ができたのもあり、顧問へご挨拶に行って日時をお聞きした。その時点ではまだ現役生とのつながりを持っていなかったので、合宿の見送りしかチャンスはない、と思って実行した。



今回のことがどういう効果を持つかはわからないが、とにかく干渉することが大事と思うし、それが私が受けてきた高松高校山岳部の教育、伝統そのものだと今思っている。

2013年3月26日火曜日

露出

小さなステップ、という話。

業界内の話であるが、これまで、論文投稿以外に、自分個人の名前が出ることは余りなかったが、ここにきて、ちょっと露出している。

セメント新聞 3月11日号 に、記事が掲載されて(取材を受けたわけではなく、講演から起こしたようであって、事前にチェックできないのは怖いが)、そのヘッドライン部分が、ネットにも掲載されている(実際の文章はもっと長い)。

http://www.cement.co.jp/cementnp/130311.html

他に、私は知らないのだが、もう一つ、何らかの業界新聞い、私の顔写真入りの記事で、私が語ったという強めの意見が載っているらしい。見るのがちょっと怖いが、ご存じの人がいれば、教えていただきたい。


もう一つは、学会誌コンクリート工学 3月号で、今本先生の記事の中で、紹介していただき、写真入りで入っている(他の方もまんべんなく紹介されているので、特別私だけではないが)。

さらに、日経コンストラクションの3月25日号においても、私の名前はないものの、「現場所長塾 第13回 品質管理」の中で、飯田所長の記事の中で、横浜国大との共同研究のことが記載されている。

たまたま、この3つが鞄に入っていたので、徳島大学での委員会の席の休み時間に、参加していた研究室学生に見せた。社会とつながっている姿をきちんと見せることも、教育であったり、信頼関係の構築につながるはず、と信じて。研究室でのきちんと成果をPRすることも大事かなと思っている。

外部のことに頼らずに、自分で醸し出す必要もあるだろうが、使えるものは手段を選ばず。


あと、論文については、投稿から1年かかったが、3月19日付で、表面吸水試験についてのジャーナルが公開された。本文pdfは、会員で論文集購読者でないと、1年間は見ることができない(1年後に無料公開)が、興味のある方は連絡を。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejmcs/69/1/69_82/_article/-char/ja/


徳島にて

本日は、土木学会のコンクリートの施工性能の委員会の共通実験のために、徳島大学へ出張。

研究室の指導としては、横浜国大に倣い、学生へできるだけ出張させたり、経験させることを重視したいと思っている。もちろん、きちんとしたフォロー、ケアも必要である。

当初、着任直後の予算の問題という大人の事情から一人で参加の予定であったが、公用車を使えることとなり、研究室の学生も連れて行けることになった。車種はセレナ。前任校のように、車の運転ばかりというのは、あまりしたくはないが、今後、必要な時限定で、お世話になることであろう。



春休みということで、最終的に1名の都合がつき、連れて行くことになった。研究室に配属といっても、まだ何も動き出していない中で、いきなりフレッシュコンクリートについて、20人ほどの大人がああだこうだと議論し、実験室で徳島大学学生がコンクリートを練るのを見る、というのは、どう感じただろうか。正確には知らないが、大学生と比べて、講義がびっしり詰まっていることから、なかなか学外の土木に関することに触れることは少ないようなので(サンプル数<10)、いろいろな経験を積ませ、考えさせたいと思っている。

今日については、施工性能など、たぶん聞いたことない段階であるが、何か、あれ、っという気づきの一つでも得てもらえれば御の字である。

私としては、関連して、徳島大学の実験室をたっぷり見せていただいた。歴史のある徳島大学コンクリート研究室のフレッシュコンクリート実験の歴史を感じさせる、設備や実験ノウハウに脱帽であった。


東京から来ている方々の飛行機の関係で、15時に散会となったが、数名の委員を空港へ送る道すがら、1時間くらい空き時間があるということで、私の思い付きで、鳴門まで遠征することにした。たまたま私の車に乗り合わせた4名の委員の方には、振り回してしまったが、「渦の道」を堪能していただけたと思う。

渦の道とは、大鳴門橋のデッキが有料の遊歩道になっていて、高さ約50mから、鳴門の渦潮を見ることができるものである。潮の流れの速い時間だったようで、海が川のように高低差で動いたり、ぐるぐる回る様子を見ることができた。一部ガラス張りになっていて、立つこともできる。私の両親親戚は徳島なので、過去に来たことがあるかもしれないが、物心ついてからは初めての渦の道であった。そういう意味でも感慨深かった。

渦の道を小走りで見学というのは慌ただしかったが、あと1時間といったときに、地元民としてぜひおもてなしをしたい、というマインドは、こちらでも健在である。むしろ、常にチャレンジしたい。もちろん安全運転で。






2013年3月22日金曜日

真夜中のラブレター

真夜中のラブレターとは、気持ちが高ぶって書いた文章がその時は最高の内容だと思っても、翌朝に落ち着いて読み直すと、とても恥ずかしいことを書いていることに気づく、という類のものであると認識している。今日は、そういう意味でなくて、ラブではないが、文字どおり真夜中にレターを読んだ。

今日は、私の前任校横浜国立大学の卒業式と謝恩会、その後研究室での打ち上げ、であった。私は3週間前に横浜国大を去り、その際にすでに送別会も開催していただいたため、今日はあくまでも卒業修了者をお祝いして送り出す会だとの認識で臨んだ。

研究室打上げでは、教員のスピーチが時間不足で省かれるトラブルもあったが、学生のスピーチの後、私の番になり、最後に私宛のプレゼントを戴いた。今ここに写真はないが、綺麗に製本されている冊子で、コンクリート研究室に関わった1期の人から現役生(32期)まで、30年以上にわたる方々から、メッセージを寄せていただいて、冊子に取りまとめられているものであった。

研究室の最高学年の小松君が奔走してくれたのが目に見えてわかって、その場で泣きそうになったがこらえて、散会後、いそいそと予約していたホテルに戻る。

夜中0時過ぎに、やっぱり今読んでおこうと思って、ページをめくりながら、メッセージを読ませていただいた。私がこれまでやってきたこと、交わってきたこと、に対して、ねぎらい、評価、激励を戴く内容であった。もちろん、一般論としてお祝いのメッセージはお世辞も含まれるから、割り引いて考えるにせよ(空気が読めずすみません)、一人一人の顔と声が浮かんできて、涙しながら最後まで読んだ。

PCが手元になかったので、この文章は後日書いているが、読んだ直後に、その思いを忘れたくないと思って、携帯でメッセージを書いて、保存しておいたものから起こしている。その時にとっさに浮かんだブログのタイトルが、「真夜中のラブレター」。このタイトル自体が、後で読み直すと恥ずかしい、いわゆる「真夜中のラブレター」である。香川高専に赴任しても、家族の引っ越しや、横浜に残務が残っていたりで、色々と慌ただしくて落ち着かなかったところもあるが、こうして、横浜国大の区切りを得たことで、ポジティブに、次に切り替えられるような気がする。

最後のスピーチでも言ったことであるが、私も卒業生も横浜国大コンクリート研の歴史の中で一歩一歩進んできたが、明日からは、各自が新しい環境で歴史を作っていく。

2013年3月21日木曜日

近況

この10日間は、赴任前に次ぐ、怒涛の10日間であった。公開する意味があるのか、と思いつつ、慌ただしさの記録に。


3月14日(木)。夕方まで通常勤務。夜の最終便で横浜へ。

15日(金)。朝から、娘の幼稚園卒園式。わが子の成長と、横浜との別れが重なる、感動的な会で、涙なしには語れない。後日、娘は、「パパ泣いてたね」ときちんと気づいていたらしい。

私は30年前、幼稚園卒園までの5年間、東京都世田谷区に住んでいて、3月に親の転勤に伴う引越しで、兵庫県明石市に移った。まさに、今回の娘と同じタイミングで、関東から関西へ移った。勤務開始日の関係で、私は卒園式に出席することができず、事前に、卒園証書をもらって、クラスの皆に見送られたので、卒園式に出なかった。30年前、幼いながらに卒園式に出られなかった当時抱いた悔しさ(後日作られた思い出かもしれない)と、娘の姿がオーバーラップしていた。

しかし、その感動を興ざめにしたポカミスが。慌てて横浜に来たので、なんと、スーツの上下が別の柄だった。幼稚園で、受付をしている最中に気づき、その日はタクシー移動と現地で邪魔になるという理由で家にコートはおいてきていが、少々肌寒いので、上着を脱いぐのはおかしいので、どうしようもない。後で話したら周囲の人は、気づかなかったとは言っていただいたが。ちなみに、本日だけでなく、14日の朝から、間違っていたので、その日は、職場で何人の人にも会っていたので、後で思い起こすと恥ずかしい。

午後からは、怒涛の、引っ越しの最後の片付け。夜中までかかって、終わらない。

16日(土)。家の引越し当日。たまたま、朝一番で、月の住宅清掃だったので、参加。最近お話できていなった方々ともご挨拶ができた。

ちょうど、子供の体調が悪く、妻が病院に連れて行ったりしている中、引っ越し業者がきて、色々と連絡不備で工程が遅れるトラブルもあったが、何とか夕方には、予定通り、搬出が終わる。

高松での搬入は、中1日あける(トラック便なのに・・・)必要があり、この日は、ホテルに宿泊。家族が最後の会を開いてくれて、羽田空港のレストランで会食。行ったイタリアンレストランは、夜景のシチュエーションだけでなく、味も最高。宿泊は、もう二度とないかもしれない、東急羽田ホテルの空港ビューの部屋。目の前に、駐機場と滑走路で、これも最高の眺め。

17日(日)。昼の便で高松へ。既に住み始めている私の家に立ち寄ったのち、ホテルへ。高松で一番?のホテルで、港を一望できる。家があるので、今後高松のホテルに泊まることは、ない、というこれまた貴重な宿泊。この日は移動日。長男、夜には熱も。

18日(月)。今日も休みを戴いて、引越しの搬入。相変わらず息子の調子が悪いので、ホテルのチェックアウトを3時間延長して妻に子供2人の面倒を見てもらい、私一人と、実家からの母のサポートで、搬入作業。昼過ぎに搬入は終わり、夕方には、段ボールの山から何とか床も見えてきて、住める環境に。

家族の初めての高松の家での夜なのに、家族には悪いが、高専の専攻科の謝恩会に呼ばれていたので、参加させていただいた。家族に無理を言って参加した甲斐はあり、修了生だけでなく、現役と、4月から専攻科に進学する学生まで集まっていたので、学生とたくさん話をすることができた。

19日(火)。研究室配属後、4名全員がそろう日。部屋の片づけや、段ボールの書籍の整理を手伝ってもらい、実質初回ミーティング。研究も必要だが、まずは、コミュニケーションや、本を読んでもらって、各種素養を身に着けてもらうことが大事と考え、課題図書を1冊ずつ与え、次に集まる時までに読んでもらうようにした。

20日(水)。鞆の浦では、横浜国大グループが何かやっているのはわかってはいたものの、引っ越し3日目の初めての休日で、家族のサポートと家の構築を優先。翌朝から、また、横浜なので、ここでやるべきことをこなす。


21日(木)。朝から横浜へ。この日は、主に、自分の部屋の片づけと、引き継ぎ。夜は、私の恩師の池田先生に送別会を開いていただき、会食。


翌日は卒業式で、翌々日に高松に戻る。

2013年3月13日水曜日

卒業式と卒研配属

今日は卒業式。

体育館に集まり、粛々とセレモニー。見上げると、バスケットゴールがあり、紅白の垂れ幕。懐かしい光景だ。私自身卒業式に出席したのは修士修了以来なので12年ぶりであった。大学だと、実質、役員になっていないと全体のセレモニーには出ない。

5年生と専攻科の修了生の他、教員全員、保護者、在校生は4年生が参加。在校生がいるというのが、大学と違うところで、私のイメージでは高校の時に近い。ブラスバンドの演奏から始まり、最後の合唱部の合唱では、色々な思いが重なり、涙を流してしまった。合唱を聞くこと自体何年振りか思い出せないが、感動した。

大学と比べて、圧倒的に若い世代を相手に教育研究を行うことは、赴任前から頭では分かっていたが、赴任後の各種の発表会や会議で想像以上であることを目の当たりにしてきたが、今回学生が一堂に会する場で接したのは初めてだ。ただ、今日は高学年だけだったので、若い高校生と同じ年代の学生に接するのは、入学式までお預けである。

早く校歌も覚えたい。香川高専に統合後に作られた歌ということで、結構ポップな感じであった(芸術について、語彙が貧弱で失礼)。


その後、建設環境工学科4年生のホームルームで、就職の希望調査の提出と、卒研配属の希望調査の提出。卒研については、最終的に4名の学生が林研究室(こう呼ばれるのが初めてで、新鮮)に配属になり、午後には都合のついた3名が、挨拶に来てくれた。2013.3.13 林研究室始動の記念日として刻んでおこう。


赴任後13日目なのに、5年生の謝恩会に招いていただいた。専攻科生の謝恩会は別の日に行うということで、5年生のみ。先生によると、単年度の学年だけだからか、毎年趣向が全く違っているという。今回の会は、結束力の強いという学年のカラーが出ているようで、とても楽しく参加させていただいた。数名には、結構ディープな話もできた。とにかく積極的に。


専門の先生だけでなく、教養科の先生も多く呼ばれていて、全員からスピーチいただいた。特に担任を受け持った先生は、それぞれ、苦労とともに特別な思い入れがあるようで、厳しさとともに、そのあたりが高専の、教員と学生とが一体になって乗り越えていく姿のようで、身が引き締まる。大学の教務委員が該当するだろうが、その学年にみっちりというわけでなないので、あまり味わえないものだろう。

3月に赴任したことは、4月からの講義の準備を行いつつ、高専に慣れるという目的である。もっと早く来てほしいと言われていたくらいだ。一時期話題になった駆け込み退職とは全く関係ない。専攻科生の発表を聞けなかったことを除き、成績認定会議などに出席して一通りの流れを見られたことは、本当に良かった。これがなかったら、4月からは苦労しただろう。

2013年3月12日火曜日

訃報

前任の大学からメール。私が所属していた部局(横浜国立大学大学院 都市イノベーション研究院)の現役の研究院長(学部長、研究科長、と言った方がわかりやすいだろうが)の梅本洋一教授が急逝されたとの連絡であった。まだお若いのに、信じられない。

専門分野は違えど、自分が所属する組織の長ということで、大変お世話になった。2月末に、退職のご挨拶をした際に、短時間であったが、温かい祝辞のお言葉をいただいたのを強く覚えている。2週間前に交わした、梅本先生と最後の会話であった。

昨日の早い時点ではネットには情報は掲載されていなかったが(その後新聞各紙)、試しにツイッターで検索すると、すでにたくさんの情報が飛び交っており、先生が多様な分野でご活躍であったことが偲ばれた。

ご冥福をお祈りする。




2013年3月10日日曜日

相棒

本日日曜日は、赴任後初の仕事がない日である。家でPCを使って論文の修正などをしながら、家の片づけや整理で結局終日過ごす。

ホームセンターに買い出しに行く途中、地元の登山用品店の横をたまたま通ったので、久しぶりに覗いてみると、当時から年齢を重ねた(私も、同じだけの年を重ねている)主人が一人、ザックか何かの修理をしていた。高松高校山岳部時代は、通学路の途中に位置することもあり、何も買わなくても何度も訪れた。

18年ぶりに戻ってきたことを挨拶し、思い出話に花が咲いた。ヨット部顧問になったという話をすると、このお店でも、実は、登山ザック用の分厚い布と糸で、ヨットの部品を修理する依頼があって、よく修理しているという。県下の高校や大学のヨット部から依頼があるらしい。新品で買うには高いものも、修理だと安くつく。

落ち着いたら、今度は子供も含めて登山、トレッキングを再開しようと思っているが、ヨットでもこの店にお世話になるかもしれない。

店の名前は、アイボスポーツ(aibosports)である。高校時代、名前の意味を聞いたら、「仲間、相棒のこと」だと説明を受けたのを覚えている。 ここで購入した用具の数々は、私の命を支えるものとして、実際の相棒として助けてくれている。ヨット部の方でも、関われるとさらに面白くなるだろう。

2013年3月9日土曜日

爽快な総会

今日は土曜日であるが、香川高専土木の同窓会(会の名称を、紫美留会(しびるかい))の総会と桜下会(おうかかい、本日のイベントの名称)に参加。

短時間で総会を終え、その後は現役4年生を囲んで就職に関するアドバイスの交流会といったもの。建設、コンサル、公務員、進学などのブースに分かれて、概要説明や質問に答える。私は大学進学(編入学)に関して、進学のブースに参加して説明を行った。

これまでは、大学で、高専生を3年次編入試験や専攻科を修了した学生の大学院入試で受け入れる側だったので、今度は送り出す側となった。研究室に配属していない学生も、進路を決めなければならない時期で、大変だと思うが、参考になったであろうか。この会は、桜下会といい、例年は3月末の、桜の開花時期に行っていたのを、最近は就職活動時期にマッチするように、時期を変更したという。

私は横浜国大土木の同窓会活動に12年携わってきたので、会をどういう風に運営すべきか、一つの例を知ることができた。横国にもフィードバックしたいし、その逆もしたい。横国に比べ、OBが現役学生に対して積極的にインプットしようとしている、という印象は持った。この会の特徴なのか、単に年齢差(就職活動や進路決定の開始は、大学に比べ高専の方が2年若い)が大きいから、面倒を見たくなる心情なのだろうか。

昼は、事前に近くのうどん屋からうどん玉を買ってきて、大なべに湯を沸かして、コンクリート実験室がセルフうどん屋さんになって、全員でうどん会。140玉用意しているという。学生とも交流しながら、勧められて結局2杯食べた。

最後は、1時間ほど、現役対OBのソフトボール大会。私はOB側に入って、セカンドを担当。球技のプレーは苦手で、ソフトなんて10年以上ぶり。筋トレはしているが、普段走っていないし、キャッチボールもしていない。体がギシギシ言いながら、プレーして、11対12でOBの勝利。OBの方は、社会人野球をやっている人半分、それ以外の久しぶりに体を動かす人半分、といった感じ。当初進んで手を挙げたわけではなかったが、とにかく体を動かしたことが清々しく、正直言って楽しかった。春の陽気に気分爽快。そのせいで、夜はちょっと首が痛くなったけれども。

学科の建物(建設環境工学科棟なので、ケンカントウ)の前は、桜の木が植えられている。横浜国大の土木棟と同じだ。日に日につぼみが膨らんでいる。開花までもうすぐだ。

2013年3月8日金曜日

約束

腰痛というのが持ちネタのようになっていた時期があるが、現在は全く不安なく生活している。

横浜で行きつけの整骨院のO山先生(同年代か年下)には、数年来診てもらっていた。私は、痛くなったらO山先生のもとに通って、痛くなくなるとすぐに行かなくなって、という、対処療法の、悪い患者であった。その先生だけは信頼しており、波長が合うというか、身をゆだねることができた。あるとき、その先生の治療を分析すると、ある一つの筋が凝り固まっているのが、腰痛の正体であることがわかり、いつしか自分で治療できるようになってきた。自己流の治療もたまに外れる時があって、その際には、お世話になっていた。一般論であるが、先生曰く、解決するためには結局は筋力をつけること他ならないという。しかし、モチベーションがないものはいくらやっても続かない。

以前から、雑談の中で私が転職する予定であることは話していたが、いざ私の香川高専への赴任も決まったのちの、12月ごろに腰が痛くなって訪れた。すると、O山先生も、来年春に独立開業することでちょうど年内で退職するとのこと。お互いライバルのように一方的に感じていたので、とても嬉しくなるとともに、3月から先生に診てもらえなくなるのが、2か月早まったことに焦りを感じた。赴任先でまた腰が痛くなったらどうしようか、という漠然とした不安はあった。

それで、12月下旬から、腹筋、背筋、腕立て伏せを50回、毎日行うことにした。モチベーション維持のために、iPhoneの腹筋アプリを購入して、リマインドしてもらうようにした。当初は、本当にきつかった。途中何度も休みながら、やっとのことで終えた。

1週間で効果が出てきたのがわかった。腰が軽くなった。1か月はほぼ休みなく出来て、2か月目は、退職最終月ということで、2日に1回は飲み会があるという状況だったので、飲んだ日の夜はできないこともあったが、それを除くと何とかほぼ毎日継続的にできて、今3か月目に突入している。正直、続いたのが驚いているが、これも、O山先生との約束でもあるし、自分が新しい環境で健康的にやっていくための必須事項と思っている。

それ以来、腰痛は、皆無である。継続は力なり。

ずっと大丈夫だったのに、12月に腰が痛くなったのは、O山先生から開業と退職の話を聞くためであった、としか思いようがない。腰が痛くなるのが1月であれば、先生に会えなかったし、話も聞けなかった。村上春樹の「海辺のカフカ」にも書かれている通り、必然だった、のだろう。運命的なものを感じている。

2013年3月7日木曜日

喫茶店

本日は、前から予定されていた、採用時健康診断。町中の病院で受ける。私が通った高校は県庁の2つ隣という町なかなので、そのすぐ近く。18年のタイムラグはあるが、不思議な気分である。

健康診断後、朝食を抜いてきているので、近くの喫茶店に入り、モーニング。チェーン店ではない、昔ながらの喫茶店。エスプレッソマシンでない、サイフォン式のコーヒー。学生時代に来たことがあるかどうかは覚えていない。横浜では、ほとんどの喫茶店はなくなってしまい、廃業か、ドトール、ベローチェなどのチェーン店になっている。ほっと一息つける喫茶店とはこのことで、独自のランチメニューもやっている。

その後、市役所に行って、各種手続きを一通りすると、1時間以上かかった。これで、やっと、高専へ提出する事務書類も揃った。

なんだかんだとお昼の時間になったので、高専に行く前に、近所の別の喫茶店で、ランチ。最近、魚ばかりでヘルシーにやってきたので、ガッツリと生姜焼き定食。喫茶店のちょっと味の濃い、手作りの料理は、懐かしさを感じる。

周囲を見渡すと、喫茶店ばかりのような気がする。ただし、たばこが分煙でないのは、何とかならないものか。高松市内全般として。


午後、印刷屋さんから届いた名刺の校正をしていて気づく。暫定的に一昨日プリントした名刺は、高専の英語表記が間違っていた。CollegeがCollage(無関係なものを組み合わせて芸術化する画法の一種)になっていた。すでに10枚以上配ってしまった。orz

香川高等専門学校は Kagawa National College of Technology だ。

2013年3月6日水曜日

一期一会

今日は、京都出張。高専-土木研究所の連携した、橋の老朽化対策の研究会の会合が京都大学の楽友会館である。


家を8時半に出れば、11時には京都に着けるので、思ったより近いことを実感。これも、鉄道と道路の併用した瀬戸大橋があればこそ。家を出ると、朝から、もやがかかったかのよう。黄砂が飛んでいるらしい。京都に出ても、同じようで、タクシーの運転手も、最近は黄砂とPM2.5の影響か、山がかすむといっている。

昼から会議で、それぞれの委員の活動報告と、外部講師の招待講演。鋼-コンクリートの両方の話題が飛び交うが、前者はこれまで専門としなかったので、ついていけないところもある。鋼構造分野の講義も担当しているから、海綿のように吸収していきたい。

新参者であるが、私を知っていただくことが重要で、意識的に質問やコメントをするように心がける。幸い、コンクリートの分野の先生は少ないのか、私だけが知っている関連知識を披露したところ、いくつかの反応があって安心している。井の中の蛙ではだめで、高専のつながりであっても、高専の外部に使える情報があれば真摯に学んでいく必要があるだろう。その逆もある。そのために、高専外から、高専へ来た私の意義があると思う。

帰りには、1時間ほど、京都の町を駅に向かって歩きながら、参加者と会話。うまく、かどうかはわからないが、私しか知らない情報を相手に魅力的にPRするように、心がける。一期一会を無駄にしないこと。すべては繋がってくるはず。

わが、香川高専の嘉門校長は、土木出身で、京都大学の名誉教授ということもあり、今回の会議を、京大の楽友会館に設定されたと聞く。

大正時代に作られた当時としてはモダンな造りは、今でも一切色あせていない。ゆったりとした時間が流れている。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/profile/intro/facilities/kyoshokuin/rakuyu/

終了後、嘉門先生に連れられて、京大の学内を案内いただいた。歴史館がオープンしたようで、これも素晴らしい。出張の機会は減るとは思うが、その代わり、会議でピンポイントの往復にならないようにしたいと、今回のオプションツアーで感じた。

帰りは新幹線で駅弁を食べながら、帰路につくと、旅の疲れがどっと出てすぐに就寝。

2013年3月5日火曜日

卒研発表

着任2日目は、5年生の卒業研究の審査会。
タイムキーパー担当であったが、ノートPCの学会タイマーがうまく動かず、スマホのタイマーを
使ってアナログで何とかこなす。

前任校の横浜国大では、発表6分+質疑3分であったが、ここでは発表10分+質疑5分。たっぷり発表する代わりに、2会場に分けての審査会ということで、半分の発表は聞くことができなかった。

それぞれ、長所短所はあるので、まずは違いを噛みしめつつ、本質を見極めていきたい。

詳しくは書けないが、大学4年の卒論と、高専5年(大学でいう2年次)とでは、異なる。どっちが優れているという単純な話ではなく。3月着任ということで、専攻科2年(大学でいう4年次)の発表には立ち会えなかったが、卒研生を見ることができたのは、何にもまして、高専を知る上でのよい引き継ぎとなった。


午後は会議と事務書類作成でまたもや気づくと夜。

名刺は、横浜国大と同じく、とくに支給されるわけではなく、自分で作る必要があったので、印刷業者を紹介いただいて、学科内の他の先生の名刺を参考に発注。ただし、明日は、京都出張のためにどうしても名刺がいるので、持参しておいたミシン目入りのカードで自己印刷。何とかできた。

溜まった洗濯物を処理するために、昨日目星をつけたコインランドリーへ。その待ち時間に、夕食を済ませるようにするが、結局、ゆめタウン内の、大戸屋へ。野菜も魚もバランスよく採れるので、単身赴任にとっては、最適であろう。ゆめタウン、4日連続となった。

2013年3月4日月曜日

高専初出勤

香川高専へ初出勤。朝から、校長先生から辞令交付を受け、ついにこの日が来たと実感し、改めて身が引き締まる。

その後、事務手続き関係の説明を、複数の担当者から受け、自分の研究室へ。なんだかんだで昼食の時間。高専は既に講義時期は終わり、残すは5年生の卒業研究発表会を明日に控えた段階で、食堂や売店はクローズ。結局、高専の外に出て、うどん屋で食事。毎日うどんでも生きて行けるけれど、栄養のことも考えなければ。ちなみに、ここが、今回の引っ越し後初さぬきうどん。

午後は、学科の会議で、着任の挨拶。その後も会計システムの説明を受け、各種書類を書き終わった段階で、勤務終了時間を迎える。ここからが、自分の時間で、郵送していた段ボールを開き、とりあえず棚に収納し、それからメールの処理に取り掛かる。ゆっくりと机に向かう時間はなく、まだ、転勤のご挨拶も送れないまま、初日の勤務を終える。


さて、夕食は、帰り道の幹線道沿いの店で済ませる。明日の朝食や、靴にトラブルがあり靴を買うために、またゆめタウンへ。20時を過ぎても、靴が買えるのは、ゆめタウン高松。ゆめタウンのまわしものではない。引っ越して、毎日来て、ゆめタウン率100%を継続中である。便利なのだけれども、果たしてこれでよいのだろうかと、一方で思う。高松の商店街の発展とトレードオフでもあるが、地元を応援したい気持ちはあるが、生活のためには、利用しないとやっていけない側面もある。その筋について、学科内でもかかわっている先生がいるので、ぜひ勉強をしてみたい。別の面は、冷蔵庫とテレビがない牧歌的と思いながら、車に乗って夜に買い物をするという矛盾も。

一人生活で、かつ冷蔵庫がない、というのは、どうなるかと思ったが、気持ち次第で何とでもなりそうである。とはいえ、健康的な食生活を心がけたいので、とってつけたように、ミカンとトマトを買ってきた。冷蔵庫があれば、ついそのままになって腐らせたこともあったが、冷蔵庫がないと常に意識しなければならない。むしろ、その方が牧歌的だが、健康的なような気もする。

洗濯機もないので、コインランドリーを探しているが、まだ立地が良い所を見つけられていない。小規模なところは、ネットで検索しても出てこないので。

今日は事務手続きが殆どの一日だったが、明日からが実質的なスタートである。

2013年3月3日日曜日

かながわからかがわへ

フェイスブックの方へは、フェリーの長旅についてリアルタイム報告はしていたのですが、ブログの方へは香川に来て初めての投稿になります。

3/4から、香川高専での新しい職場が始まるのですが、家族の引っ越しまでの2週間、新しい家で単身赴任となります。

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日本中に吹いた春一番のお蔭で、フェリーは大きく揺れましたが、特に船に酔わずに四国にたどり着きました。3/2(土)の夕方に高松の自宅に着いて、車に目いっぱい詰め込んだ自分の荷物を下ろすのに、約10往復。新居にはまだ暖房も設置されておらず、分解して運んだ机やPCを組み立てる。夜、家電量販店で目当ての物も買ってから、タオルを持ってきていないことに気づいたのが20時過ぎ。お店で尋ねると、この時間にタオルが買えそうなのは、「ドンキホーテ」と「ゆめタウン高松」。迷わず後者へ。ゆめタウン高松は、自宅と高専の中間点に位置する。ゆめタウンの建設が、高松の商店街を潰した、とまで言われたショッピングモールのゆめタウンですが、私が高松に住んでいた18年前はまだできる前。今回初めて、タオルを買いにゆめタウンへ。22時まで、食料品コーナーだけでなく、ブランド品の店も(たぶん)開いている、のは、驚き。横浜でも、あまりないでしょう。イオンとかも、最終まで開いているのは食料品コーナーだけだったような。とにかく目当ての物が買えて、自宅で風呂に入って就寝。


翌日は、引っ越しに伴い、朝から、注文していた家具の搬入やエアコンの設置のために、終日、家で受け入れます。終日受け入れでは一歩も外に出られないとのことで、徳島に在住する私の両親のうち、母が手伝いに来てくれています。朝一番でトラブルがあり、背の高い190cmの本棚が、玄関と廊下を通らないトラブルが発生。外に面する部屋だったので、いそいそと鉄格子と窓を外して、何とか運び入れてもらって解決。オーダーしていたカーテンは、なぜか白いレースが、1枚だけ黒いレースで仕上がっており、明らかに店側のオーダーミス。そんなこんなで、一日かけて休む暇なく、家の構築が終わりました。
夜は、母と二人で食事しようと思っても、まだよくわかっていません。駅の繁華街に行けば空いているけれども車の駐車が面倒だったので、結局、再度ゆめタウン高松へ。中華料理にありつけました。昼まで、コンビニ続きだったので、高松に来て、初めてまともな御飯です。


2週間後に家の引っ越しを行うということで、今、家には冷蔵庫、洗濯機、テレビ、がありません。ラジオ位持って来ればよかったかなと思いつつ、インターネットはつながるので、ネットラジオをつけながら、生活しています。radikoは、関東の番組は関東圏しか聞けないので、たった3局です。ラジオ日経が2チャンネルと、放送大学。もっぱら、別の、NHKの第一放送を流しています。

明日は、ついに香川高専の初出勤日。

11/22(水)午後 コンクリートの品質確保 甲子園決勝 in 高松

しばらく、トップ記事に固定します。 気分は日本シリーズ、甲子園決勝、の気概で計画しています。 以下および添付資料の通り、コンクリートの品質確保に関する報告会及びシンポジウムを開催することとなりました。材料-施工の取組みで華々しさはありませんが、i-Construct...