2018年2月26日月曜日

時間の認知

期末試験の採点と、成績確定のための色々なレポート類の処理に追われている。追われて忙しい時ほど、現実逃避で色々なことを考えてしまう悪い癖が発生。休憩と称して、10分のタイマーを掛けて、この文章を書く。

この冬は、久し振りに、インフルエンザに罹患して、数日間仕事をお休みした。その中で、布団の中でポッドキャストの、「曲解答弁」なる番組を見つけ、聞いていた。

先輩と後輩の2人が、たわいもないことを議論する番組であるが、たまに、ものごとに対する洞察力が深いのが、ツボにはまる。

ある回の、時間に関する間隔の認知で、なぜ楽しいときには時間が早く過ぎて、楽しくないときには遅く感じるのか、ということに対して、そこそこ面白い議論をしていたようであるが、結論が混迷していて不満が残ったので、自分なりに考えてみた。


・待ち遠しいイベントがなかなか来ない(もういくつ寝るとお正月)
・楽しいイベントが始まると、あっという間に時間が過ぎる

という、時間の認知感覚の違いが何故生じるのか。

脳科学での分析はあるのかもしれないが、私なりの思いは、次のようだ。

・人間が時間について考えた量と、時間感覚は比例する。
すなわち、
・楽しいイベントの前は、イベントが早く始まって欲しい、あと何日かな?、早く来ないかな、と、「時間」をテーマにして考える=時間について認識する=時間が遅く感じる。
・楽しいイベントの最中は、そのイベントのことを考えることに精一杯で、今何時間過ぎたのか、残り何時間かは余り考えている暇はない=時間のことに考える量が小さい=時間が早く感じる。

この考えに結びついたのは、高校か大学ときに読んだ「ぞうの時間、ネズミの時間」の本である。動物の寿命は、数日~数十年とばらつきがあるが、皆等しく、心臓が○○回打った回数はほぼ同じである、という説。

そのことと、時間について考えるイベント数(量)が、時間についての認知と等しいという考え方は、似ている(アナロジー)ではないか。
そういう説が既にあれば、どなたか林まで教えていただければ幸いです。


そのポッドキャストの中で、確か、以下の趣旨のことも語られていた(そのポッドキャストかどうか忘れてしまった)。

子供の頃は一年が長く感じたという「年齢による時間に対する感覚の違い」の理解は、その一年で人生の何分の一を過ごしたか、に置き換えるとよくわかる、という趣旨の指摘を読んで、言い得て妙。これも面白い考えだ。ある面同意できる。

10歳の子供は、この1年間で、人生の10分の1を過ごす。インパクトは大きい。50歳の大人は、この1年間で、人生の50分の1を過ごす。割合としては小さい。10歳のときの5分の1である。

この「人生に対する割合」がいったい何を表すかは、よくわからないが、ひとつの評価指標としては、ありうる指標である。

と、10分のタイマーが鳴ったので、とりあえずこれで終える。後ほど加筆するかもしれない。

2018年2月12日月曜日

リスク回避の能力

交通の冗長性は必要で、それが平時だけでなく地震時、異常天候時のレジリエンスに繋がる。要は冗長性が高いほどリスクに強くなる。ここで言うリスクは拡張すると、会議が延びて出発が遅れたり、帰着が遅くなったり、迷子になったり(笑)も含む。

高松は、地方都市の中でも、交通の冗長性(代替選択制)は非常に高いと思っている。ラッキー、ではなく、私が転職をする際に、暗にそういうことは考えていたのである。交通インフラが冗長性が高いことに価値を見いだして、高松の地に転職してきた、と言ったら若干は盛っているが、あながち間違いではない。一番は高松出身というのがあるが、それを割り引いてもそう思う。

飛行機の便利なところは、所要時間が短いのはあるが、一度予約するとビジネスきっぷを除いて変更がしづらい所がデメリットである。ただし、そのデメリットを補うのが、先方での悪天候の際に条件付き運行になった際には全額払い戻しが選択できることにある。これで大部分は回避できる。
 ついでに言うと、当日購入の価格がべらぼうに高いことは、どうにかならないかと思う。プライベート利用である、身内の不幸の際に、急に飛ぶとなるときには、航空会社が鬼のように思えてくることもあった。その際には、お金なんて関係ないのでどうでも良いが、冷静に考えるとそう思う。正規料金がベースで、前日以前に早く買ったから安いのだ、という航空会社からの説明も、それは説明の仕方の違いだけであって、確率的な分布を見込んで料金設定がされているので、全体の重み付けの話である。スーパーの△割引を月25日間もやっている話に似ている。大事なのは、売上の比率であろう。
 国内便飛行機チケットの売り上げ状況(仮の推定)
  正規料金 35000円 5%
  1日前まで 25000円 30%
  21日前まで 18000円 30%
  45日前まで 13000円 25% 
  大幅割引 10000円 10%
 ホテルとセットのビジネスパック・ツアーパックもそれなりに多いと思うので、換算するともっと安い方にシフトするかもしれない。(高いので国内では少ないと思うが)ビジネス客が買う日付未設定のオープンチケットは、正規料金程度と思うが、わからないので仮に0とする。
 この件は、話がそれるので、論点を整理してまた別のトピックとして書こう。

新幹線の便利なところは、当日まで決めることができることや、東海道線の関ヶ原の雪の遅延を除くと比較的災害に強いことである。さらに、年間1000円程度でエクスプレス会員になると、オンラインで予約ができ、乗車変更が3ヶ月以内であれば何度でもできるというところを考えると、メイン利用だけでなく、飛行機が遅延時の代替手段としては有効である。窓口購入は、そもそも駅に着かないと購入できないことや、災害時には駅は大混雑なので、厳しいと思う。

デメリットは、長い乗車時間であるが、3人掛けの真ん中は厳しいが、それ以外は東京から岡山までは許容できると思う。東京から鹿児島までは厳しい。また、少なくとも高松便は、岡山行き終新幹線にマリンライナーが接続しているので、東京駅の高松行きの終新幹線が20時30分なのは、飛行機にはないメリットであり、特筆に値する。高松行便の最終は、20時頃であるが、余裕を見て東京駅は18時30分は出たいところだ。この2時間近くの差は大きい。また、上記のエクスプレス会員のオンライン予約であれば、比較的窓側がとれる(急な交通手段の変更を検討してから実際にJRみどりの窓口に到着できるまでの時間のタイムラグがあるため)ので、体力温存と電源確保としての新幹線は災害時には有効である。

14:25追記情報: 高松空港の条件付き運航の場合には、レベルが1~3とあるようで、少なくとも高松空港のカウンターでは教えてもらえるとの情報を失念しており、今回改めて指摘を受けて思い出したのでここに追記する(結果、n=2)。推定であるが、ほぼ100%が、周辺の濃霧で飛行機が「着陸」できるかが問題であり、それの裏返しとして、出発機材が確保できるか。私が知る限り、機材さえあれば濃霧でも始発便は高松空港が離陸できるので。ただ、このレベル情報が、高松空港外から電話等で知ることができるか、羽田空港カウンターで知ることができるか、についての情報も引き続き情報収集して蓄積したいと思う。


以下、私の判断事例を提示する。

1月9日の東京出張帰りのフライト。私のミスで羽田空港の定時に明らかに間に合わなかった。たまたま高松空港が雪のため、条件付き運行の案内が出たため、キャンセルが無料となった。よって、運が良く飛行機は全額払い戻しして、上記のオンライン予約で窓側の新幹線も予約ができて、新幹線で帰ってきた。確認したところ、私が乗る予定だった飛行機は、出発の遅延があったものの、無事着陸できている。

2月10日の東京出張帰りのフライト。13:30発のフライトであった。朝から、1時間おきに、条件付き運行の情報がメールできていた。メールが頻繁に来るもので、オオカミ少年のように麻痺して、最後の方は内容を読んでいなかった。通常の条件付き運行なら、まあ、大丈夫だろうと判断してしまっていた。浜松町でモノレールに乗ってから、改めてメールを見ると、ヤバいことに気づいた。天候調査中で、まだ見込みが立たないと。それで、以前のフライトを見ると、2つ前の便が、着陸できずに、高松空港の隣の徳島空港に降りたとの情報が。

この時点で、リスク回避のことが頭をよぎったものの、快速に乗ってしまったので、引き返すポイントが見えない。色々考えて、大井競馬場駅で降りて、逆向きのモノレールに乗換えようとした。すでに天候調査になっているので、確定する時間までにキャンセルすればよい。そのモノレール待ち時間の間、オンラインで、新幹線の窓側を予約できたので、新幹線に決めた。

っと思った瞬間、JALは天候調査を終え、私のフライトが、45分遅れで出発することが決定した。天候調査をした上で、あえて「やる」と判断したのは私の経験が無かったのもあり、これは行けるのではないか、と考えてしまった。新幹線は、再度乗車変更すれば、実質無料キャンセルと同じ扱いだし。

というのは、手荷物が多かったこと、疲れていたので、またこれから4時間以上掛けて陸路帰るのもなんとなくいやだなぁと思ったこと、自家用車を高松空港に停めていること、さらに、車の保険の満期が翌日なのでディーラーに行かなければならないこと(冷静に考えると、車をピックアップしていなくても大丈夫だが、言い訳の1つとして)という言い訳がどどっと私の中に押し寄せて、再度、空港に向かってしまった。

その後、チェックインして、さらに、フライトは延びて、結局65分遅れで14:35離陸となった。悪い予感が立ちこめる。私は飛行機をキャンセルできる手段があったが、選択しなかったのでモヤモヤしていた。満席だったので、他の人はどうしたんだろうと思ったが、元々ツアーやビジネスパックで買っていたら変更出来ないし、新幹線片道の18000円より安い価格で購入している人には、この程度の危機予想では差額の自腹を切って、わざわざ東京や品川駅に移動することまでは考えないだろう。細かくは覚えていないが、15:50頃に高松空港で1回目の着陸を試みるも、濃霧で真っ白で、急上昇の着陸回避。機長から、30分程度高松上空で待ってから、再度着陸を試みると。で、16:30過ぎか、再度試みるも全く同じで、結局、これから伊丹空港に向かいますと。伊丹空港着陸は、17:00を過ぎていたと思う。

着陸後は、地上係員の方が乗ってきて、今後の状況の説明や、JR無料引換券で、新幹線で岡山経由の高松まで戻ってもらう説明があり、書類をもらった。手荷物を預けていたのをピックアップして、17:30だったと思う。

ここまではJALの対応は完璧だったと思う。機長や客室乗務員の対応は問題なかったと思う。むしろ、リスク回避のために動いてくれた判断は尊敬している。さて、私は高松空港に車を停めていたので、そのピックアップのために、費用が発生するので「やわらかく」係員に尋ねたら、清算支払OKの旨の返答があり、カウンターで手続きして下さいと。これが悪夢の始まりだった。まず、先方から名前は控えられたが、私がその初回担当者を名前を聞かなかったのがまずかった。次に、向かった先のカウンターには行列で、かつ、多くが高松便の客で、困難な条件(ツアーや、レンタカー、キャンセル交渉)で、私の番が回ってきたのは30分ぐらいかかった。それから交渉したところ、色々(初回担当者と異なる対応をされたことに)頭にくることがあって、伊丹空港を解放されたのが、18:30。

それから指定された方法としてバスへ新大阪へ、JRで、高松に着いたのが22時。一度空港にタクシーで向かって、車もピックアップして家に着いたのが23時だった。


反省点は次の通りである。直接経費は余り問題ではなく、ロスした時間価値、疲労の方が大きい。結果としては、12時30分の時点で「強くヤバいな」と思った時点で、新幹線に切り替えて、その後の雑音に流されずに一貫して動くべきだった。

振り返ると、途中で判断がぶれたのが悔いの残ることであった。自分がしっかりしていないと、「なんとかバイアス」がはたらくのがよくわかった。

色々考えると、今の私にとって時間が取られることがつらい。自分の判断でJRに切り替えることによって、高松空港への自家用車のピックアップ料金などたかがしれているし、そもそも結果として当初の便で高松に着いていれば、18時頃には高松駅に辿り着いているので、安くリムジンバスにも乗れたし、そんなに致命的ではない。

判断ミス、戦術ミスであるが、自戒のために、次回のために、掲載しておく。

大事なのは、そういう動きをすることで、トータルのリスク回避の勝率を上げることだと思う。1つ1つの結果に流されては、全体を見失う。確率で考える必要がある。そうやって生き残る必要がある。地震の発生確率も引き上げられたし。


2つの指標でとらえる

ものごとを把握するために、複数の指標で評価をしたほうが理解しやすいことが多い。ここでいう「ものごと」とは、人の性格でも良いし、人の能力でも良いし、何かわかりにくい抽象的なことの理解でも良いし、科学における物理現象(メカニズム)の理解でもよい。

理解したい全体像は、3次元の立体物であると考えると、対象が大きすぎたり複雑な形状をしていたりして我々が全体像を見ることができないため、その形を推定したいときには、何かの「切り口」という2次元だったり、ある1点の奥行き方向の1次元だったり、単なる点の情報だったり、断片的なものとなってしまう。

日本語には「切り口」という言葉があってわかりやすいが、その切り口が1つではなく、2つあった方が理解が進みやすいということである。さらに言うと、その2つめの切り口は、1つめに比べて、別の角度の方がわかりやすい。

例えば、「うどん」を、うどんを見たことも食べたこともない人に説明する際に、「小麦粉を使った食べ物」と「細長く切ったもの」という2つの切り口で説明すれば、大枠は伝えると思う。
(※厳密には、1つめで小麦粉、食べ物の2つの指標を使っているが、ここでは割愛する)

ただ、2つの指標といっても、「小麦粉を使った食べ物」と「白っぽくて艶があるもの」という切り口であれば、2つの指標のジャンルが似ているので、あまり効果的な2つではないと思われる。よって、できるだけ離れた指標が良い。

2つよりも3つが良いのは言うまでもないが、1つと2つの違いと、2つと3つの違いでは、得られる情報の違いは、1と2の違いの方が大きい。よって、ここでは少なくとも2つの指標で捉えるように、と主張したい。

例えば、「学力」試験だけで、その人がどういう「能力」がある人だろうと推察したい際には、「数学と理科」の組み合わせではなく、「数学と国語」の方がその人に対して色々な推察ができそうである。

私の専門分野のコンクリートの分野では、固まっていない柔らかいコンクリート(フレッシュコンクリート、という)の段階でのコンクリートの性能評価が求められている。硬ければコンクリートで構造物を作りにくいが、逆に柔らかくなると分離して別の意味で構造物を作りにくくなる。そのバランスが必要なのである。

それに対する回答としては、私も委員会に入って活動した、コンクリートの施工性能の委員会(土木学会コンクリート委員会 341委員会)では、初期の静的なスランプ試験(1つめの指標)および、その後にエネルギーを与えた動的な挙動に対する試験(2つめの指標)の両方に対してクリアすることが、良いコンクリート(施工性能の優れるコンクリート)である、というものを提唱している。

静的なスランプの値は、言い方は乱暴であるが、化学混和剤(クスリ)の種類と量を加減すれば、ある指定された時刻において、目標値に一致させることができる。「合わせにいく」とも表現する。しかし、それは、逆に言うと、その試験のみでは、性能を推し量れていないこととなる。言い方は乱暴であるが、ある程度ヘンテコリンな配合でも、スランプを「1点のみ合わせる」ことは比較的簡単なのである。

不適切なコンクリートを回避するために、色々な2つめの指標が提唱されている。2つを併用することで、大抵の場合の不具合を可視化して排除することができる。


まとめとして言いたいのは、何かを評価する際には、2つの指標で評価することが、失敗の少ない評価が可能である。それは、2つを合わせにいくことは非常に難しいためである。

もちろん万能ではないので、個々の評価をするときには3つ以上の指標も必要なときがあるかもしれないが、費用対効果を考えると、全体システムを設計する(通常に備える)には2つの指標というのが妥当なラインである。


という話が、一昨日の吸水委員会の議論とも通じるので、ここに記録に留めておく。


ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...